2018/6/20 21:16
向瀬君のfacebookからの転載です。
管理人
2018年6月4日投稿
1969年、高校3年生の私は新聞部の編集長であった。秋の文化祭のテーマは「学園闘争」に設定。資料として読んでいたのが『叛逆のバリケード 日大闘争の記録』だった。
全国の大学自治会宛に出した質問状の回答書から、闘争の概要、各セクトのヘルメットを再現、更にはコーラ瓶などを使い火炎瓶の作り方も展示した。バリケード闘争の写真なども入手。ビジュアルとしても分かりやすい展示構成だったと記憶している。
顧問からは、緻密な取材などが評価され、最大級の賛辞を得た。しかも自らが顧問を務める新聞部が発行する新聞の1面「文化祭の総括」の記事の中で!
数十年後、新聞部の同窓会で顧問が秘話を披露。
−学園闘争のテーマと展示は良かった。実は火炎瓶の作り方のコーナーは校長から撤去しろ、との沙汰があった−というのだ。しかし、顧問は頑として受け入れなかった。改めて顧問の気骨に敬服した。
地元の新聞社が2社、取材に訪れ記事掲載してくれたのだが、我々新聞部の視点を確実に評価してくれていた。火炎瓶云々という些末な視点では触れてはいなかった。
保守王国の進学校。
あの気骨ある顧問がいなかったら、火炎瓶どころか企画自体、潰されていたのかも知れない。
母校日大の有り様をみて、『叛逆のバリケード 日大闘争の記録』と武生高校新聞部編集長時代のことを思い出した。
※前列右端が部長クン。右から3番目が気骨ある顧問先生(作家でもある)
向瀬




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