今日の午前中は洗濯と整骨院、午後は中学校のPTA総会、参観、クラス懇談で夕方帰宅。あとは晩ご飯を作っておおよそ一日終了だが、お兄ちゃんのお迎えが今日も日付を越える。
「いつもの」人身事故で帰りが遅れるのだ。難病などで自分の(または愛する人の)残り時間が後僅かで、だから命を引き戻したい人は、どんな思いで自分の死を引き寄せてしまう人のことを考えるのかと思うと、いたたまれない。私がそんな立場なら、その命、のどから手が出るほど欲しいと思って泣くんじゃないかな。いってもしょうがないんだけど。
最近は信号のない横断歩道を渡る人たちが、近づいてくる車に対して、あまりに無関心なのでびっくりする。横断歩道を歩いていれば歩行者優先だから、ゆっくり携帯の液晶見ながらでも歩けるのだろうか? 別に携帯を見ていなくても、あまりに車に無関心なので、あぶなくてしょうがなく心配になる。注意散漫だったり、前方不注意だったりする車があるかもしれないとか、思い及ばないのだろうか? 自分の身を守ろうと言う気持が、なんだか非常に希薄みたい。
というか、「生きている世界」への執着というか粘着力が、ポストイット程度にしか感じられないと言うか。インタビューしたわけでもなく、通りすがりの人々だから、本当は全然的外れかも知れないけれど。むしろ的外れでありますようにと願っていたりするけれど。
というわけで、夜半を過ぎて駅に向かう訳です。
ほんとは今日は何故か「らんちゅう(金魚の)について書いて欲しい」というH氏からのリクエストがあったのだけれど、なんだか乗り気になれなくて。とくに「らんちゅう」に意味はなかったみたいだけどね。すまん、H氏。「らんちゅう」については、気が向いたら、またね。

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