昨日の続きです。
私と11年前幼稚園児だった上の子Tくんは、6ヶ月の赤ちゃんからもらったインフルエンザでへろへろになりながら、震災にあった神戸の画面を見つつ、どんどん症状を重くしていった。
二人して何も食べられない、寝ていても頭痛と関節痛で辛がっていた。
夜に夫が「これなら食べられるはず」と大量に苺を買って来てくれ、感激しながら二人で食べた。
そして私たちが平癒した頃、私たちを経由しさらにパワーアップしたインフルエンザはお父さんを直撃した。おりしも彼が神戸に給水ボランティアにいく前日である。
むちゃくちゃ仕事の忙しい時期だったので、当然職場の人達は「もうちょっと後で」と云ったのに、「今すぐいくんや!」といつもの強引さで押し通した。当日は38度以上の発熱だったので、「やめとき無理無理」という私の反対も、当然押し切り、出かけてしまった。思わず「生きてかえってきてくれー」と祈った。
私と違って精神論が通用するガッツのある人だし、気も張っており、かろうじて給水活動はできた。でもなにしろ未曾有の惨事である。神戸の行政職員さんたちは200%の力を出して自分の家族を顧みる時間もないくらい働いてらしたが、とんでもない混乱状態だったので、晩の食べ物が届かなかった。熱は上がって行くし、空腹だし、寒いし、余震はひんぱんに起るし、目が回って来た時には「もはやこれまで?」と頭をよぎったらしい。冗談ではなく。
翌日、食料置き場があることを教えてもらい、そこにいくと菓子パンとおにぎりとカロリーメイトとカップヌードルが山のようにあったという。教訓。「災害ボランティアに行く時は、自分のことは自分で面倒みられんとあかんのや。自分の飲み水や食料は3日分くらい持参せなあかん、て分かったわ」
ボランティアにいって、いろいろ見たり聞いたりして本人は「あのとき行っといて、よかった」といっているが、現地から電話をもらったときには、救急車のサイレンの音が複数、絶え間なくバックに聞こえて、お腹がいたくなるくらい心配した。
電話しながら「あ、いま余震」とか云うなよな。ついでにボランティアするのは、自分が元気なときにだけにしてくれ。と心で叫んだ11年前。
なんとか1泊2日の給水ボランティアから帰還したあと、彼が疲労と病気で寝込み、仕事を休んだのはいうまでもない。

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