教師で教育マニアだった父親が、がんばって大奮発して私立の幼稚園に入れてくれたので、公立の小学校に入学した時には、転校生のように孤独だった。他の子たちは幼稚園から地続きの小学校に移動しただけなので、みんなもの馴れていたのだ。
おまけにひとりだけ机も椅子も用意されていなかったという悲惨さだった。そのまま幼稚園から脱皮できずに、ひとりでぼおっと過ごしていた。授業もしょっちゅう意識が遠くを漂うため、注意力散漫で影も薄かった。そのまま2年の月日が流れ、姉御肌の友達ができたのを皮切りに、少しずつ、ひとつしか無いクラスには馴染んで行ったが、いいに付け悪いに付け、耳目を集めることは何もなかった。
3年生になり、熱心な中年女性の小木曽先生が担任になった。いい意味で喜怒哀楽の幅が大きく、その揺れ幅に、子どもながら共振することもしばしばだった。
消防署や郵便局を見学に行った後、40人あまりの子どもを近くのご自宅に招き入れて下さり、フェリックスの四角いガムを皆にくださった。玄関先にあじさいの木がある、小さいけれどしっとりした日本家屋だった。
私には、その頃もなんにも取り柄が無くて、やたら空想の世界に浸っている事が多い、ぼんやりした子どもだった。
その朝も、窓から差し込む光にきらきらと舞う埃をうっとりと眺めているうちに始業のチャイムがなった。先生が入って来て「起立、着席、礼」のあと、引き続きぼおっと埃をみていた私の耳に先生の声が入って来た。「朝やから眠たい顔の人も、だらっとした目のひともいますけど、朝からきらきらと目を輝かせている人がいます。素晴らしい事です。その人は、紙魚子さんです」
突然、思いもしなかった自分の名前を呼ばれて、そのときは唖然としてしまった。そのあとに授業が始まってから、じわじわと喜びがからだに沁みて行った。
たったそれだけのことだったのに、世界が一変する経験だった。そのときから、ゆっくりとゆっくりと時間をかけて脱皮し、世界と直に出会える事ができたように思う。色んな事柄が面白いように理解出来るようになり、少しずつチャレンジできるようになった。
いまも、ときたま通る道から、先生の家の板塀の中にあるあじさいをみると、そのときの光に満ちた感動を思い出す。ありがとう、小木曽先生。

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