ついに注文しておいた『一握の砂・悲しき玩具』がとどいたので、ざざっと読んでみた。
面白い。怒濤の一気読みの後は、自分があたかも啄木になったかのように歌をリアルに体験できる。
「よく叱る師ありき
髭(ひげ)の似たるより山羊(やぎ)と名づけて
口真似もしき」
あったよね、これ。
中学生の頃、休み時間に前の授業の先生の物まねする剽軽な男子がいたっけ。「叱る」というより「愚痴っぽい、やる気の無い」教師だったような気がするな。
「打明けて語りて
何か損をせしごとく思ひて
友とわかれぬ」
自分の片思いの話とか、我慢出来なくてつい友達にしゃべってしまい、友達と別れた後、ものすごく重い疲労を感じた。そんなことを、かなりリアルに思い出した。
「ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな」
これに関しては、異存がある。とってもある。
実家に帰って大好きだった山の連なりをみたら・・・
その麓にゴルフの打ちっぱなしのネットが高々と張られているのをみたときには、もう。がっかりなんてもんじゃなかったですう(泣)
「樺太(からふと)に入(い)りて
新しき宗教を創(はじ)めむといふ
友なりしかな」
「共同の薬屋開き
儲(まう)けむといふ友なりき
詐欺(さぎ)せしといふ」
なんちゅう友だち持ってるねん!
と、思わずつっこんでしまいましたよ。
いや、まさか宗教ってカルトじゃないとは思うけど。怪しげな友達がいっぱいいたんでしょうねえ。石川さん。
突っ込むだけではたりずに夫・H氏に教えてあげたら、彼は笑ってくれたけど中途半端に歌の意味を確認するのは止めてね。
「今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊まりし宿屋の
茶のぬるさかな」
で、泣けなかったんでしょうね、当然。
勢いづいてやって来たのに、小石につまづいた、みたいな。
「茶のぬるさ」という外し方が絶妙!
「寂寞(せきばく)を敵とし友とし
雪のなかに
長き一生を送る人もあり」
過酷で、傍目には何もなかったように見える人生・・・なんだか山下和美さんのマンガ『不思議な少年』の中の話を思い出してしまい、啄木さんの意図とは違うかもしれないけれど、ちょっと感動。
「秋近し!
電灯の球のぬくもりの
さはれば指の皮膚に親しき」
この「電灯」の感触や温度は、子どもの頃に布団の上で柔らかく光を放った電球を切なく思い出してしまった。ノスタルジアに浸りまくってしまう歌だった。
次は「意図していないユーモア」が滲み出るという、斎藤茂吉の短歌もよんでみたい、という野心?をも突如持ってしまった今日この頃である。

1