仕事を終えて家に帰ると、明日の奈良見学旅行の準備をしていたKちゃんが、
「おかーさん、待ってたねん。おにーちゃんに私の(旅行の)お菓子、食われたねん。どうしたらええと思う?」と、切なく言った。
「どこに置いてたの?」
「いつもお菓子置いてあるとこの下。」
あかんやろ、そんなややこしいとこに置いたら!
旅行のお菓子は命!のKちゃんである。金額上限までに、どれだけいっぱい買えるか、アタマをフル回転させるKちゃんである。もう少し別のことにもフル回転させればいいのに、食べること以外には「いかに他人を笑わせられるか」に全身全霊を注ぐので、余力はないのだろう。とにかく、そのままでは済ませられない。
「お兄ちゃんを塾に迎えに行くとき、西友に寄ろ」ということで、ひとまず決着。
まずお兄ちゃんを迎えに行って「Kちゃんのお菓子、食べたんやてー?」と聞くと
「えーー! 食べてへんわー冤罪や、冤罪! いくらなんでも、そこまで卑しいないし」と激しい抗議にあう。「わかった。何かの間違いなんやな」と深く追求せず、お兄ちゃんはショッピングモールの本屋さんで待ってもらい、Kちゃんと二人で西友のお菓子売り場へ直行する。
いつもスーパーへ行くと晩ご飯のおかず一直線で、お菓子売り場みたいな夢のある区画には近寄らない。だから私は免疫がない。晩ご飯直後だというのに、あれも食べたいこれも食べたい状態である。が、Kちゃんも負けてはいない。
「あー、あれ、おいしそう〜♪ お茶と蜜柑、どっちの味のチョコにしようかなー? えーい、両方買うたれー」「私、ラングドシャって、大好きやねん! おいしいねんな、これ」「高級バターを使った堅焼きクッキーって、たまらへんわ−。よろめくー」「ブルボンのアルフォート! 私、幼稚園のとき、これ食べてうっとりしたねん!」
年齢も嗜好も微妙に違うが、お菓子を前にしたアツい思いは共通するオンナたちである。ふたりでずいぶん盛り上がった。これほど思い入れたっぷりに買い物かごに入れられるお菓子は果報者である。
そういえば。このあいだ夫と
「森永ハイ・クラウンチョコ」はどうなったのか、という話題がでていたけれど。「もう、ないやろなー」と彼は言っていたが、果たしてやはり見かけなかった。
不二家のLOOKチョコも、チョコベビーも、アポロも健在だったが、ホワイトボディにシガレットパッケージで格調高い(たぶん)シーリングワックス(封鑞)の模様入りだった「ハイ・クラウンチョコ」はいつのまにか店頭から姿を消していたのだ。不覚。
子どもの頃これを口にするときには、もう気分は貴族。それほど高級感漂っていた。
しかも「ハイ・クラウン」にはミニカード付きで、ヨーロッパのロマンチックな風景写真が、やはりただならない高級感ある厚紙に印刷してある。おしゃれ。日本の片田舎でどんなにか遠いヨーロッパの風景に思いを馳せたものだろう。それを見ているだけで、退屈知らずだった。・・・はい、集めました。
その後ミニカードは「花の妖精シリーズ」になり、アルファベットとともにお花の妖精が描かれたカードはもう、宝物みたいなものだった。優美にして華麗で極上の妖精画の作者は英国の女性、
シシリー・メアリー・パーカーという方だ。かなり熱をあげて惚れ込み、ためつすがめつカードの絵を眺めまくった。これも感嘆のため息をつきながら集めたことは言うまでもない。
これは私だけの現象ではなく、ネットサーフィンしたら熱烈な思いをブログに綴る人は大勢いた。
昨年か、おととし、私はパルコの本屋さんで、この「花の妖精シリーズ」のカレンダーを見つけ、買おうかどうしようかとずいぶん悩んだことがあった。見つけた瞬間は「おおっ!!」と感激したが、結局のところ買わなかったのは、カレンダーの色合いが、どうも「ハイ・クラウン」のミニカードの素敵さに負けていた気がしたからだ。
あの微妙に柔らかいトーンがないような気がしたのは、単に美しい思い出という脚色があったからだろうか? いやいや「ハイ・クラウン」という商品担当者の志の高さが、ミニカードを見た消費者をノックアウトしたのだ。極上の贅沢な味わいだけではなく、極上の文化をひろめようという志の高さである。
直裁で強引な食玩ではなく、もっと素敵なコラボレートがあった昔の食品関係の担当者さんたちに、いまさらながらではあるが、敬意を表したいと思う。
PS: やはりKちゃんの早とちりで、お菓子の袋から一部こぼれ落ちていた模様。冤罪が今日の天気のように、きれいに晴れてよかったね! お兄ちゃん。

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