そうなのだ、近鉄奈良駅を降りるとのんびりと「松と鹿」とがお出迎えしてくれるのだ。ホテルや駅ビルや名店街がひしめいて、タクシー乗り場や市バスのターミナルが慌ただしい都市・京都とは、えらい違いなのだ。千年の古都・京都といえど、それより古い歴史と伝統の奈良にはかなわない。奈良の、のんびりした佇まいは別格なのである。
昔ながらの商店街がゆったりと駅の線路沿いに伸びて、そこを通り過ぎ東大寺に向かって興福寺の国宝館も通り過ぎる。うう、こちらに行けば、阿修羅像や佛弟子たちの像にも再会を果たせるが、今回は涙を呑んで国立博物館のみ。しかしおかげで『神仏習合展』は、ゆっくりたっぷりじっくりと見ることができた。人の入りも丁度いい具合に空いている。
だってなんといっても
神仏習合展である。誰でも知ってる展示品があるわけでもない。これぞという美術品が来る訳でもない。そもそも「神仏習合」すら興味はおろか、知る人も限定されるのではないか。なんとマニアックな企画であろうか。まあ、奈良の博物館は「涅槃仏の世界展」とか昔からマニアックな企画を打ち出していたので、今に始まったことではないが、それにしても来館者を選ぶ大冒険企画ある。
今回の目玉といえば須弥山石(しゅみせんせき)くらいかもしれない。これは山形に加工された大型石像物で、須弥山は仏教的宇宙観にいう世界の中心に聳える山で、頂上には帝釈天が住む宮殿があるとされる。しかしこんな巨石に文様を彫り表しているのは、なんだかアミニズムや神観念を意識した感じでもある。
予想を上回る大きさで、見上げる程の迫力だった。運び込むのも大変だったろう。そのためか入口すぐのところでの展示だった。東京国立博物館所蔵のものなので、関東方面の方はご存知かもしれない。飛鳥時代の物であり、「世界の中心」とはいえ、この石の前で愛を叫んだ訳ではなく、政治的な誓約や、天皇への服属儀礼が行われたらしい。
と言う感じで、やっぱり神仏習合は難解なのだった。
当然のことながら、すっきりくっきりと解るものでもないのだろう。でもだからこそ魅力的なのかもしれない。ナゾがいっぱい、というものに対して、ドキドキするのは人の常なのである。「○○をみたで〜〜!」という興奮はないが、「よくわからへんけど、ムネがドキドキする〜♪」という状態なのだ。それでも、一部理解できた(ほんまか??)ところで大変興奮したりもした。
僧形や男像、そしてあろうことかホトケに変換される神様たちや、神社にお参りする有名なお坊さんたち、神器である鏡の変遷や、密教や修験道など、大変興味をそそられる事実などは、本当に面白かった。その辺の話をうまくまとめられたら、明日も話題は続きます。まとめられるかが大問題なんだけど。いや、たぶん無理でしょうが、ま、まとまらなくても書き留めておかなくてはね。

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