日時:2008年11月15日(土)17:00開演
会場:ザ・フェニックスホール
出演:イアン・ボストリッジ(テナー)
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)
【プログラム】
マーラー:「若き日の歌」より
1. 春の朝
2. 思い出
マーラー:「子供の不思議な角笛」より
1. この世の生活
2. 死んだ鼓手
3. 美しいトランペットが鳴り響く所
マーラー:「さすらう若人の歌」(全曲)
1. 恋人の婚礼の時
2. 今朝、野辺を歩けば
3. 私の胸の中には燃える剣が
4. 恋人の青い眼
休憩
ベルリオーズ:「夏の夜」(全曲)
1. ヴィラネル
2. ばらの精
3. 入り江のほとり
4. 君なくて
5. 墓地にて
6. 知られざる島
秋になってから、この公演のプログラムがマーラーの歌曲だと知り、大急ぎでチケットを買いました。ベルリオーズの「夏の夜」は、よく演奏される作品だそうですが、私は初めてでした。
最も印象深かったのは、ボストリッジの柔らかで小さな声、ソット・ヴォーチェです。恋人に話しかけるピアノ、ピアニシモといった甘く優しい弱音の魅力を聴くことができました。
フェニックスホールは小さなリサイタルホール、客席は最大でも335です。1階の客席フロアは傾斜がなく、舞台はそれより3段ほど高くなった台状です。1階席後方に被さるような2階席はわずか3列。私は2階席だったのですが、CDで聴いたときは気づかなかったボストリッジの弱音が、とてもふくよかに、ニュアンスたっぷりに(それこそ、体温を感じるほどに!)伝わってくる気がしました。
ボストリッジはいわゆる「リリックテノール」と言われタイプでしょうか。プロフィールを読むと、知的で孤高な感じがします。ありきたりな形容はどれも外れているようにも思います。が、やっぱり一番魅力を感じたのは静かな叙情表現でした。
たとえば、マーラーの「この世の生活」や「死んだ鼓手」。死神や骸骨が後ろに立っているような圧迫感のある作品です。これらを歌うボストリッジは、熱唱、熱演でありましたが、私にはひたすら顔が怖いだけで、意地の悪い言い方をすると、空回りの感です。
ですが、死んだ兵士の魂が恋人を訪ねる「美しいトランペットが鳴り響くところ」は、すばらしかったです。冒頭、喜びと不安で高鳴る胸を押えながら呼びかける娘の声
Wer ist denn draussen...
(外にいるのは誰…)
その柔らかく、温かく、慈しみすらたたえた囁き…。ハッとしました。
そして、冷たくなった体を離れて戦場から戻った魂が応える
Das ist der Herzallerliebeste dein,...
(君の最愛の恋人だよ)
この歌い出しはため息もの。胸がキュンとなったところをふんわり包んでくれる声。耳だけ残してとろけてしまえとでも? ドレイクの演奏は、恋人たちの叙情の背景を受け持つ舞台美術と効果。マーラーの書いた楽譜は、脚本ですね。
後半は、気むずかしそうなボストリッジがフランス語で歌うベルリオーズ。こちらも山あり谷あり。
第1曲は若い恋人たちが春をたたえる田園詩「ヴィラネル」とやら。これがもう甘く、ウキウキとした詩で、難しい顔して歌ったマーラーとはえらい違い。
さあ、おいでよ、苔のベンチで
素敵な愛を語らおう、
そして甘い声でいっておくれ、
「いつまでも」と。
「いつまでも」。ここがいい。頬を紅潮させたカノジョひとすじの青年が早口で、
あぁ 言っちまったぜい!
てな感じが伝わってくる微笑ましいシーンが彷彿としました。
それとは逆に、言葉がわからないばかりに、味わいが半分であったなと残念に思ったのが第4曲「君なくて」。
恋人が死んでしまい、悲しみにくれ、
「帰ってきて」
と呼びかける短い歌。ボストリッジは柔らかな弱音で聴かせてくれたのだけれど、私は言葉がわからないので、そんな孤独と悲嘆の歌だったとは気づきませんでした。ことさらに演技せず、言葉と声でそれを表現したのでしょう。私は、声…というより息の色と温もりを感じる心地しながら聴き入ってしまっただけ。もう一度聴いてみたいです。
彼のパフォーマンスをこのホールで聴けて、ほんとによかったです。大きなホールだと、なかなかこうはいかないと思います。
ホールのチケットカウンターの対応にも助けられました。公演の2ヵ月くらい前にホールまで出かけていったのだけれど、残っていたのは両翼の席のみでした。ちょっとガッカリしていたら、仲介業者(ローソンとかぴあとか…)に良席が残っているかもしれない、と情報をもらいました。発売中につき、動きはあるのだけれど、と前置きして、かなり確かなところをアドバイスしてくれました。そして、その通りにうまく席が取れました。運がよかったのかもしれないけれど、おかげで満足のいくリサイタルでした。

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