『北の国から』の第一回目(1981放映)、今でも心に残っている場面です。 家・内 純「(二階から)父さん、電気のスイッチどこですか?」
草太「アハハハ、純坊。電気なンてねえよ。この家には電気ははいってないの」
二階
純の驚愕の顔。
純「電気がないツ⁉」
裏
トイレの板壁をはり直している五郎に、純、もうぜんとくい下がる。
純「電気がなかったら暮らせませんよツ」
五郎「そんなことないですよ(作業しつつ)」
純「夜になったらどうするの!」
五郎「夜になったら眠るんです」
純「眠るったって。だって、ごはんとか勉強とか」
五郎「ランプがありますよ。いいもンですよ」
純「い──。ごはんやなんかはどうやって作るのツ⁈」
五郎「薪で焚くンです」
純「そ。──そ。──テレビはどうするのツ」
五郎「テレビは置きません」
純「アタア! けど──冷蔵庫は」
五郎「そんなもンなまじ冷蔵庫よりおっぽっといたほうがよっぽど冷えますよ。こっち
じゃ冷蔵庫の役目っていったら物を凍らさないために使うくらいで」
和夫「(顔出す)純坊!森に薪集めに行くぞ‼」
純──絶望と怒りに口もきけない。
純「(口の中で)信じられないよツ」
ふん然と行く。
音楽───静かな旋律でイン。B・G (後略) 『北の国から』前編・後編の二冊は、放映と同じ年、創作児童文学の“大長編シリーズ”と
して、理論社から刊行されました。
作者・倉本聰、画家・長新太、そして奥付には制作・小宮山量平と記されています。
前編の巻末に父の解説があります。 テレビ・シナリオと創作児童文学
(前略)
だからこそ、この大長編シリーズの一冊に倉本さんの「児童文学」的作品を・・・・・という私の希いがあったのです。テーマにかんする希望まで添えての提案があったのです。
やがて、それに対して考慮を約して下さった倉本さんの回答は、「ぼくはシナリオ作家であり、シナリオでご期待に答えたい」という意味の、凜然としたものでした。
私は、改めて襟を正す思いで、倉本さんの「テレビ言語」による文学への挑戦を刮目することとなったのでした。
(中略)
思えば、私たちが「映画」という映像言語によって青春の活力を育てたように、それにも増して「テレビ」という映像言語によって視界をひろげている今の若者たちにとって、シナリオという表現は、なんのさまたげもなく文学的に吸収されるのではないでしょうか。しかも、現代のテレビという媒体が、最も腐蝕しやすい泥沼をくぐらずにはいられない現状において──それだからこそ、広く深い大衆との緊張関係を踏まえて自己確証を示さずにはいられない倉本さん的な創作行為こそが、真に若者たちの心底に語りかける親しさを持ち得る時代なのではないでしょうか。 (後略) こうして『北の国から』は“シナリオ文学”として世に送り出されたのです。
ご自身の作品について、倉本さんは次のように言葉を添えられています。 「恵子ちゃん、ぼくは北海道に来た。本当は内緒にしたかったんだけれど、父さんと母さんは別れちゃったんだ。」───少年純の手紙で綴られるこのドラマの舞台は北海道の富良野です。富良野市麓郷の農家に育った純の父親黒板五郎は、父母を捨て東京に出てそこで東京の女と結ばれ、二人の子供が生まれました。
しかし五郎には東京は重く、家でも仕事場でもうまく行かない。うだつの上がらない毎日でした。そうして突然五郎は妻に、男の出来たことを知ってしまうのです。
妹の蛍と共に父につれられ、初めて父の生まれ故郷である麓郷の廃屋に住むことになった純。都会の中にどっぷりひたってぬくぬくと育ってきた少年少女が厳しい富良野の四季に接して何を見、何を学んだか。北海道の一年を通じて地方から都会へメッセージを送る、これは一種の文明批評でもある小さな家族の大きな物語です。 黒板五郎を演じられた田中邦衛さんの訃報に接し、しきりに『北の国から』のことを思い出しています。
冒頭のシナリオ。
純の問いに対する五郎さんのセリフはそのまま倉本さんの言葉として心にひびきます。
1984年、ドラマに心を動かされた若者たちが日本全国から集まり、「富良野塾」が始まります。
創設時に倉本さんが書かれた「起草文」です。 あなたは文明に麻痺していませんか。 車と足はどっちが大事ですか。 石油と水はどっちが大事ですか。 知識と知恵はどっちが大事ですか。 理屈と行動はどっちが大事ですか。 批評と創造はどっちが大事ですか。 あなたは感動を忘れていませんか。 あなたは結局何のかのと云いながら、 わが世の春を謳歌していませんか。 富良野塾の記録 谷は眠っていた』(1988年 理論社刊)より 倉本さんの問いかけが胸にささります。
そして朴とつだった五郎さんのことがただただなつかしく思われてなりません。2021.4.7 荒井 きぬ枝

ミュージアムの棚に並ぶシナリオ全集『倉本聰コレクション』
『北の国から』はその後、続編が放映されるたびにシナリオの形で理論社から出版され続けました。
フジテレビが制作したポスターです。
“このドラマはあなたといっしょに時を刻んでいる”・・・・・と。