父から託されたことを
4月13日の早朝、父 小宮山量平が亡くなりました。
95歳、穏やかな旅立ちでした。
「長生きは命の芸術だよ」
90歳を過ぎた頃から父は、よくそんなふうに語っていました。けれど、
父のその“芸術”をもうしばらく見守っていたいという願いは叶いませんでした。
2月の末、恥骨に小さな骨折が見つかりました。痛みをこらえながら、
「1ケ月か2ケ月の我慢だね」・・・と。
自宅での療養を続ける中で、3月の半ば頃だったでしょうか、
少し体力が衰えてきていて、私を呼んでは、あれこれ思いを伝えようとすることが多くなりました。
「おかあちゃん(母をそう呼んでました)、ちっともいい世の中にならなかったねえ」
母にそう語りかけた言葉が忘れられません。
痛みは治まったのですが、体力が更に衰えて来ました。
点滴を嫌がり、食事を拒む父に
「お父さんの覚悟かもしれない」______
母が静かにそう言いました。
4月6日、一時危篤に。けれどそれから一週間、小康状態が続きました。
心の準備をさせてくれたのだと思っています。
もうろうとする意識の中でくり返していたのは
「ありがとう、ありがとう。おもしろかったね」という言葉でした。
亡くなる2日前、待っていた冊子が届きました。2月の初めに書き上げた文章が載っています。
うれしそうに目を通して
「世界でいちばんいい文章が書けたね」・・・と私の同意を求めました。
その日の夕方のことです。父は突然敬礼をして「がんばれよ!」と言いました。
旭川の軍隊時代に戦地へ送り出した部下たちの顔が見えたのだと思います。
“あいつらの分を生きる。
あいつらに恥ずかしくないように生きる。”
それが戦後の父の生き方だったことを、私は最後の最後に思い知らされたのでした。
「ありがとう。おもしろかったね」______
父と仲良くして下さってありがとうございました。
どうか時々父を思い出してください。時々父のことを語って下さい。
お願いします。
生前、そしてこのたび、お寄せ下さいました父へのお気持ちに
心より感謝申し上げます。
エディターズミュージアム「小宮山量平の編集室」
代表 荒 井 き ぬ 枝(長女)
妻 小宮山 うき枝
長男 小宮山 俊平
次男 小宮山 民人
次女 染 谷 理子
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(注) 文中の冊子は、
「地域文化」
(季刊、通巻100号)2012年4月1日 八十二文化財団発行(〒380--936 長野市岡田 178-13 ☎026-224-0511)
「百歳圏からの便りー八度目の干支(辰年)を迎えて」
小宮山 量平
として掲載されています。