エディターズ・ミュージアム㊶ 灰谷健次郎さんのこと 2013.7.24掲載
当エディターズ・ミュージアムスタッフの山嵜庸子さんが、地元紙「週刊上田」に『本の森に囲まれて−私の図書館修業時代』と題して連載をしている内容を、ご本人の承諾を得て転載しています。
先週の灰谷健次郎さんの手紙の続きです。
「小宮山さんがこちらにこられた時にチャレンジということばを使われました。そのことばにすがってかきました。児童文学に挑戦したのではありません。ぼく自身に挑戦しました。(略)ぼくは今ぎりぎりです。そのぎりぎりをかきました。みていただけませんか。いま清書をしています。許していただけるなら持参します(略)」
灰谷さんが『兎の眼』を書き上げてすぐ、先生に宛てた手紙です。
先生は灰谷さんから郵送されてきた原稿を読み、その内容の素晴らしさに感動しました。先の手紙をもらったときのことを思い浮かべていたかもしれません。そして神戸にいた灰谷さんに会いにゆきます。
そのとき灰谷さんは、労をねぎらって先生がご馳走してくれたワインの味もわからなかったそうです。先生に「これまであなたのような作家を待っていました。『兎の眼』を読みました。あなたはとんでもない仕事をしたのかもしれません」と言われ、半分泣き出しそうになっていたといいます。
神戸で出会ったこのときのことは、私もお二人から伺う機会を得ました。何回聞いても胸がドキドキしてじんわり温かいものがこみあげてくるのです。日ごろ先生が語ってくださった「めぐりあい」とはこういうことなのだろうかと思いました。
そして『兎の眼』が理論社から出版されました。1974年のことです。
エディターズ・ミュージアム㊷ 灰谷健次郎さんのこと 2013.8.3掲載
「初めて『兎の眼』を読んだとき泣けちゃってね。なんで涙が出てくるのかわからないけど、泣けるんだよ。これは不思議な本だな」。図書一般を流通させている会社の役員にこう言わしめた『兎の眼』は、後に200万部を超えるロングセラーになってゆきます。
灰谷さんが精魂傾けて書いた『兎の眼』は、理論社が始めた「創作児童文学」シリーズのなかの一冊として刊行されました。1976年にはNHKが少年ドラマシリーズの一本として放映しています。当初の読者層は少年少女たちでした。それが後に購買層に異変が起き、大人からも「大阪に行く新幹線のなかで『兎の眼』を読み始めたらもう胸が詰まって、涙涙といった感じでした。すごい本に出合ったなと思っています」など、たくさんの感想が寄せられるようになっていきました。
『兎の眼』は感傷的な師弟愛などは描かず、あくまでも教師と児童が「対等」にぶつかり合う姿を生きいきと書いています。子どもの生活を詳しく書き込み、子どもが伸びのびと生きていくことを阻むものは何かと問い、その「正体」を灰谷さんは書いたのです。
文体は読みやすいように配慮されていて、飾り気がなく実直なものでした。
当時は教育の荒廃が叫ばれていた時代でもあり、やさしさを見失うまいとする教師と子どもたちの交流する姿に感動の輪が広がったのです。