エディターズ・ミュージアム63 「椋鳩十の本」2013.12.28掲載
当エディターズ・ミュージアムスタッフの山嵜庸子さんが、地元紙「週刊上田」に『本の森に囲まれて−私の図書館修業時代』と題して連載をしている内容を、ご本人の承諾を得て転載しています。
全集の月報には、その著作者について別の作家が書いたものや、評論・分析など大切な要素を編集して掲載し、読者が次の巻を心待ちにするようそれぞれ工夫されています。
〈椋鳩十の本〉の絵入りの美しい月報を、私は図書館で働いていたとき手にとって見ただろうか。遡って思い浮かべてみましたが、少しも記憶にないのです。すぐにでも図書館に行って在り処を探してみたい衝動にかられました。けれど体裁は違っていても、画文集として一冊の本になっているのですから慌てる必要はありません。
椋さんと原田泰治さんは世代の違いこそあれ同じ伊那谷の出身でした。原田さんの絵をご存じの方は多いと思います。遠い昔を想い起こすような、懐かしさがこみあげてくる絵ではないでしょうか。小宮山先生のお考えで、原田さんの絵にそれとなく調和するような椋さんの一文をということで、月報に織り込まれていったのでした。
この本の目次を見ますと、「椋鳩十先生と私」というページがあります。原田さんが椋さんと出会ったのは昭和48年のことでした。でざいん≠フ仕事の看板を掲げますが思うようにいかなかったそのころ、結婚10年目にして子どもが生まれました。生活も一番苦しいときでした。折しもそんなとき、椋さんに出会ったのでした。
原田さんは、椋さんを福の神とも思ったそうです。
エディターズ・ミュージアム64 「椋鳩十の本」2014.1.1掲載
原田泰治さんは椋鳩十さんと出会ったとき、今まで描きためていたハガキ大の絵を見てもらいました。椋さんはそれを一枚一枚丁寧に見てくれたそうです。それからでした。原田さんにあちこちの出版社から絵本の依頼がくるようになったのは。そんな出会いがあったからこそ故郷の諏訪にいて仕事をしていられるようになったと、原田さんは述懐しています。
椋さんは画文集『太陽の匂い』にこう書いています。
―腰が曲がるほど働く人たち。手の皮がごわごわしてブリキみたいになるほど働く人たち。そのあげく、煙のように消えてしまう人たち。あとに、何も残らず消えていってしまう人たち。それが庶民だ。原田泰治は、その庶民が好きでたまらないのだ。跡かたもなく消えるにしても、そのなりわいの美しさ。命の美しさ。原田泰治は、この庶民たちを、遠く置き忘れてきた美の世界に置くことによって、人たちの心の中に、あたたかく、生かそうとしているのである。―
また―原田さんの絵は太陽のようにあったかい。陽の色した心の酒だ―とも。絵を見る私たちの気持ちを代弁してくれているような文ではありませんか。
小宮山量平先生は椋さんの文に配する絵をと考え、すぐに原田さんを思い浮かべたといいます。編集者とはこうまで、どこまでも広く深く豊かでなければならないのかと驚かされるのです。