エディターズ・ミュージアム75シナリオ文学の誕生2014.3.22掲載
方言といえばテレビドラマを見ているとき、たとえば舞台となる設定が上田市でそこの土地の人びとの会話が方言を使ってという場合、大体が納得して聞いたことがありません。「ウソだよ、そんな言い方してないよ」と口走ってしまうような使い方です。
倉本さんは『北の人名録』に記しています。「僕は嘗てドラマで方言を殆ど使ったことはない。それは一種、物真似的カリカチュアライズになり、その地方を茶化すことになると考えてきたからである」「僕は方言を決して悪いとは思わない。むしろ標準語は一つの方言だとそう考えている程である。標準語が美しく方言がきたないという物の考え方は明らかに一つの差別とさえ思っている」。
ここに倉本さんの方言観があり、言葉を大切にしている人であることがわかります。倉本さんは地方に出かけた折、そこでその土地の方言が交わされていると、すぐにメモを取り、とくに語尾についてはこだわっていたとか。『北の国から』について倉本さんは「今度のドラマの脚本に僕は北海道弁のセリフを書いた」(『北の人名録』)と記しており、それは北海道弁を使わなければ書けなかったドラマだったのでした。
このテレビドラマは、ずいぶんと大勢の方々がご覧になったことでしょう。同時代を生きていく者同士が認め合い共有するかのように、熱い視線を向け続けたに違いありません。
エディターズ・ミュージアム76 倉本聰さん 2013.3.29掲載
書物になった『北の国から』もどんどん読まれました。小宮山量平先生は、直感が見事に当たった喜びを胸に、慌てず騒がず、いつもどおりデスクに向かっていらっしゃいました。
その話より前のことです。先生は倉本聰さんのところには今までつくったシナリオが、どのくらい保存されているのだろうかと検分のため訪ねました。すると、あるわあるわ、予想を超えた量のシナリオが積まれていたといいます。先生は驚くと同時に、宝の山を発見したような気持ちだったのではないでしょうか。その場で倉本さんに「活字にすれば60冊はあるでしょう」と見積もられたとか。
こうして今まで眠っていたシナリオが『倉本聰コレクション30巻』として世に出ることになりました。倉本さんの喜びはどんなだったでしょう。「理論社のある新宿方面へは足を向けて眠れない」と言わしめたほどでした。 その後、私が図書館にいたころに、コレクションは書架に次々と並べられてゆきました。
返却された本はブックトラックに載せてそれぞれの分類の場所へ戻します。倉本聰著という本がそこに混じっていると、この本を読んだ人はドラマも観ただろうかなど、想像する楽しさがありました。
倉本さんは「昭和45年、大学を卒業するとニッポン放送に入って主にラジオドラマを作る」と、年譜に記されています。その足どりを辿ってみます。