「戦陣訓」について 荒井 きぬ枝
「週間金曜日」6月29日号の編集後記『金曜日から』に、小宮山量平に関わる文章が掲載されていることを、ミュージアムのメンバーのお一人が知らせて下さいました。以下、その文章です。 『金曜日から』より一部転記―― ◆解釈改憲を強行しようとする安倍首相の姿を見ていると、連想してしまうことがある。1941年1月8日、単に陸軍大臣一人の名において≪戦陣訓≫を発した東条英機のことだ。<第七 死生観・・・・死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。・・・・第八 名を惜しむ・・・・生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ>はよく知られるフレーズだ。
理論社の創業者である故小宮山量平さんは、自伝的大河小説『千曲川』で≪戦陣訓≫を、
<ただひたすらに人間を物量的に戦力化することだけを求める宣言>とし、その硬直した死生観が若者たちに急激に浸透して、軍隊のみならず、社会が変質していくさまを<ひとつのクーデター>と表現している。そんなことが一介の陸軍大臣ごときに許される道理はない、というのだ。(もちろん誰であっても許されることではないのだが)
民主国家となった日本で安倍首相のやろうとしていることの無謀さは、あの小宮山さんの怒りを思いおこさせる。私の飛躍した連想に、小宮山さんが生きていたら苦笑されるだろうが。
「週刊金曜日」小林 和子
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「千曲川」の第四部までを読んで、父の思いをしっかりと受け止めて下さっている文章です。
小林和子さんに感謝しています。
写真は、現在86歳の母が女学生の時、胸ポケットに入れさせられていたという<戦陣訓>です。

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『自立的精神を求めて』(2008年こぶし書房刊)で小宮山量平は以下のように語っています。
---渡辺雅男さん(一橋大学名誉教授)との対談から---
・・・・学生生活が昭和十年(1935年)から始まって、その間の十一年あたりに『君主論』が出たわけです。これから軍隊へいくんだけれども、私たちはマキャベルリに即して言えば、徴兵制度で引っ張られていくんだと思っていた。現に徴兵制度で引っ張られて昭和十四年に僕らは軍隊へ入るわけだ。軍隊へ入っても、大学出には特権があって幹部候補生をやることができて、一年後には僕らは将校になるんですよ。そうすると、後から入ってくる兵隊さんを教育する立場になる。ところが教育する立場にたって、後から入ってくる後輩を見ると、これがまったく違う人間が入ってくるんだ。なぜかというと、この後からはいってくる人間は、昭和十六年一月八日に出た『戦陣訓』というもので洗脳された人間が入ってくるわけだ。この洗脳された兵隊たちはどう考えているかというと、軍隊にきた以上命をささげるんだと、生きて帰ると思ってはいかんと、つまり死ぬ気で軍隊に入るわけだ。
だから後の特攻隊などはこのことが一番精神的なもとになるわけだ。生きて帰ってはいかん、と。かりに捕虜になったら、戦時国際法にもとづき相手国の保護を受け、捕虜は保護されて故国へ無事に帰れることは、当時の第1次大戦後の世界のルールだった。にもかかわらず日本だけは、当時の『戦陣訓』というものによって「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉にあるように、捕虜になったら生きて帰ると思ってはならんと、恥になるようなことはしてはいかんと。
あの戦争の末期に二つの年に分けて学徒出陣というのが行われるわけです。すべての大学生が教育の途中から軍隊に引っ張られて、そしてこれらの一人ひとりが大変大切な母親を持ち父親を持っているはずなのに、その母親や父親のもとから軍隊へ動員されるわけだ。
その母親も父親もやっぱり「死んで帰れ」と子どもたちに言うほどの頭になっているから、日本中が死の哲学を持つようになってしまったわけですよ。
玉砕という言葉をつかって、死んでお国に尽くすべきだというルールに洗脳されているんだ。これはね、洗脳された歴史は今も残っていて、たとえば日本の新聞をみると、どこでも日本の企業がなんか悪さをして、その悪さがバレると、社長や会長が起立して、お辞儀して「これから気をつけますから」と言う。
ところがよく見ていくと、実務的に責任ある場所に必ず自殺者が出ているんだ。ようするに死んでお詫びすればいいんでしょうというのは、まさに残っている。たとえば水俣病のところでもどこでも課長補佐とかの実務者たちはみんな自殺したりして、そういうのは日本人の気持ちのどっかにあるんだ。死ねばいいんでしょう。そういうことで死んで責任をはたすという。
そう洗脳を準備周到に行った挙げ句、みんな「死にゃいいんでしょう」となってしまった。だから、原爆でやられても、東京大空襲をやられても、あれだけの人間がいっぺんに死んでも、日本のなかでこれは戦争犯罪だっていう人はいなくなっちゃった。「死にゃいいんでしょう」と思っているから。
死ぬことが美徳になっているわけだ。だから、ここで一番大きな仕事、子どもの本の仕事を僕が始めたのは、生きるっていうのはどんなに尊いことかと、生きぬくということは。
日本人はなんとかして『戦陣訓』の「死にゃいいんでしょう」という思想を覆さなければ健全な日本人にならないんだ。この死の哲学をいっぺん乗り越えて、生の哲学へたち戻らなくちゃいけない。・・・・・・・・・・(P71〜P73抜萃)