『愛になやみ死をおそれるもの』は、十数名の方の共著によるものです。
「私はお前をえた」は、ペンネーム“神山彰一”で書かれています。
敗戦後5年、この本を出版しようと決意した父の思い、「編集のことば」を
私は“現在(いま)”と重ねながら読んでいます。
荒井 きぬ枝 (2015.1,21)
−愛になやみ死をおそれるもの−
編集の言葉
何という侘びしい祖国の姿なのであろう。敗戦五年餘の時の流れに洗われて、すべてがその本来の姿をむきだしにあらわした現状を見わたすと、戦火に荒れはてた焼けあとの曠野に立ったときよりも、はるかに荒涼とした思いにとりつかれるのではなかろうか。
華やかに夜明けを告げた自由の叫びも、つけやき刃のように、もろくも折れてしまった。
民主主義というめっきの剥げおちたあとからは、凶暴なファシズムの地肌がむきだしになっている。配給の自由を謳歌することのできるひと握りの人々が、今日の日本をエデンの園と呼ぶとき、生活に追いまわされている無数の民衆たちの心からは、自由を叫ぶ気力そのものさえ消滅しようとしている。
こうして、學問の園からは、學問の自由が去った。市民の心には重苦しい壓力が、たとえば税金というような形で、四六時中のしかかっている。多くが失われてゆくなかで、税務官吏と警察隊だけが増強され、そして、私達は今、眼近に戦火のとどろきをきくことになってしまった。
しかし、恐ろしく侘びしいのは、單にそれらのことではない。嘆かれるのは、それらのことが、すべて昨日の喜劇の繰り返しだということである。性こりもなく、同じ喜劇悲劇を繰り返そうとして憚らない、その心根である。言論が統制されはじめ、思想の善導が協調され、日本精神が呼び戻され、そして、にんまりと特需景気がたたえられているではないか。
(中略)
『愛になやみ死をおそれるもの』・・・この一冊は、敗戦後五年の歩みの中で積みあげられつつある、民衆ののぞみを、そののぞみのままで集録したものである。
曾って戦禍の犠牲として去った青年たちのひそやかな語らいが「きけわだつみのこえ」としてまとめられたとき、ひとは、それによって戦争をにくむ心を新たにせしめられ、良心の灯の輝きから、明日のための何かの決意をうけとった筈である。父母なるひと、青春のなやみに耐えているひと、耐えがたい傷痕にもだえるひと、真実や祖国への祈りにまんじりともせぬ夜を迎えるひと、これら廣汎なひとびとの語らいが、ひとびとの心に何を呼びかけるか。・・・・・・それは読者の胸のうちなることであろう。
私たちとしては、心と心の深くふれあえる書物、誰彼の胸にじっと抱きしめられ、今日の苦しみの中のふとした夜の枕邊などで、思うままのページをはらりとめくったところからよみはじめ、どのページからも、心の友を感ぜられるような書物を送りだしたかったのである。
そして、あらゆる分野で、次々と高められ私たちの悲劇が、理論や政治の中へ正しくとどくことを、読者とともに祈りたかったのである。秋深む読者の枕邊に、冬を耐え、春を待つ心で、この一書を捧げる。
1950.10.14 理論社編集部 (小宮山 量平)
☆本書の装幀扉カットなどの絵は、丸木位里・赤松俊子共同製作「原爆の図」およびデッサンのなかからすべてえらばれました。