2015/2/11
「季刊理論」の創刊号に自らが筆をとった「楯に乗って」という文章は、GHQの検閲によって、あとかたもなく削除されてしまったのです。その無念さを、後に父はこう記しています。
(前略)──日本の敗戦は、四五年八月十五日に完遂されたのでなく、同胞の自立的精神が失われた日にこそ訪れるのだ・・・・・・そんな主題を孕んだ大作品の構想を容赦なく拒否された私は、歯ぎしりする思いで、この構想の実現に思いを馳せつづけた。よしんば私の作品そのものは死ぬにせよ、この構想への思いを断つことはできなかった。 (「昭和時代落穂拾い」ー1994年刊 より)
その後も続いた検閲の目をかいくぐって、父は娘に語りかけるような形で、自立的精神が育まれていくことを願い、文章を綴っています。
2015.2.11 荒井きぬ枝
−私はお前をえた−
1949.9.8
この数日、私は病気で寝こんだ。病気という環境の中で、これまでの私は、ひとすじに死を想うような感傷家だった。
しかし、今度の病気では、凡々と、なおることばかりを祈った。こういう生活のしんを私に与えてくれたものは、お前だ!そんな感謝をはじめて味わっている私の耳に、お前とお母さんとの会話がきこえる。きぬちゃん。──いや。おいたしちゃだめ。──いや。お前は、何でも「いや」という。人間としての独立性が生れる最初の時期に、否定詞の時代があるのはおもしろいことだ。たんとたんと「いや」といいなさい。それは、シャンと、自分で自分を支える第一歩だ。
(delete“削除”と青エンピツで書かれた創刊号の目次。“荒井民平”は父のペンネーム。)
投稿者: エディターズミュージアム
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