2015/5/27
日本読書新聞の「わが友」の欄で、父は3人の“わが友”を語っています。住井すゑさん、五味川純平さん、そして灰谷健次郎さんです。
東京で父と一緒に暮らしていた頃、毎年秋になると、どこからか大きな松茸が、きれいなすだちとともに送られてきました。
「誰が送ってくれるの?」 私が尋ねると、
「わたしのために、ずっとずっと送り続けますと言ってくれる人がいるんだよ」
父はうれしそうにそう答えていました。その送り主が灰谷健次郎さんだったのです。
けれど“いつまでもマツタケが送れるように長生きしてくださいね” そんな手紙を遺して、灰谷さんは父よりも先に逝かれてしまわれました。
灰谷さんと父が最後に会った日のことは忘れられません。
亡くなられた年の初夏の頃だったと思います。熱海のお宅をお訪ねした折りの別れ際、父はやせ細った灰谷さんの身体をつつむように両うででしっかりと抱きしめたのです。
──── 無言でした。
この5月31日に予定している「うの花忌」の記事です。 小宮山さん・灰谷さんに思いを寄せて信濃毎日新聞 地域覧 2015年5月20日
2012年に95歳で亡くなった上田市の編集者兼作家小宮山量平さんと、2006年に72歳で死去した児童文学作家の故灰谷健次郎さんに思いを寄せる「うの花忌」が31日、同市天神のエディターズミュージアムで開かれる。
2人と親交があった作家、永六輔さんが思い出などを語る。
小宮山さんは生前、灰谷さんの思い出を語って自身の誕生日(5月12日)を祝う「卯(兎)の花忌」を2008年から開いていた。
小宮山さんが亡くなった後、長女の荒井きぬ枝さんが思いを引き継ごうと2013年に再開した。
永さんが、うの花忌で話すのは5回目。荒井さんは「灰谷さんと父の言葉をよみがえらせてください」と依頼したという。
「安保法制をめぐる動きなど、2人だったら『こんな世の中になってはいけない』と言うはず。今の危機的な状況を永さんの言葉で話してくれるので、若い人にも聞いてほしい」と話している。
午後3時から。参加費1200円で、定員100人。
問い合わせはエディターズミュージアム(電話0268-25-0826)へ。 灰谷さんが亡くなられて9度目のうの花の季節です。2015.5.27 荒井きぬ枝
わが友 灰谷健次郎さん 「あそびましょ」と・・・ 考え抜かれた創造的テーマ小宮山 量平
*・・・お聖さんとカモカのおっちゃんにあやかるわけではないが、私たちも「あそびましょ」と、互いに訪ねあう。
灰谷健次郎さんの東京での定宿が駿河台のホテルで、私の住まいがその裏の猿楽町だからである。もともと彼も私も、そういう気楽な世界を早く失って、余りにも修道士的探求に熱中してきたせいか、今、こんな日々を恵まれることが嬉しく、こんなにもゆるやかな時間の底からあぶり出されてくるような伸びやかな対話が格別に有り難い。
(注)“お聖さんとカモカのおっちゃん”=田辺聖子さんとその夫のこと。著書に『ああ、カモカのおっちゃん』*・・・思えば作家と編集者の世界も、アイデアからアイデアへと飛脚便のように飛び交いぶつかりあう世界となりきって久しい。ある狙いの釣り針が、ふとした思いつきを釣り上げるのにも似た一しゅんの対話だけのつながりなのだ。
そんな世界に浸りきったような人が、あなた良い作家をスカウトしましたネ・・・などと、私と灰谷さんの関係に注目する。
*・・・いちいち反駁はしないが、文学のいちばんの創造点に、そういう人間関係の虚しさが一般的になっているのだと思うと、私の心は疼く。灰谷さんと私とは、すでに『きりん』の仲間として20年を倶に歩み、子どもの心を子どもの立場から考える創造の世界を、ひとすじに手探りし続けてきたのだ。
あの『赤い鳥』の伝統の変革であり継承の道であった。
*・・・そんなことを視野に入れられない「批評家」が、『兎の眼』をプロ文学的善玉悪玉小説だなどとあげつらってみたり、『太陽の子』の児童文学性を否定してみたりする。いま日本が失いつつある最も大切なものが、正に創造の原点としての振幅ある子どもの精神世界だというのに。
『兎の眼』のやさしさ。そのやさしさを育んだものを探求する『太陽の子』──いま、鉄ちゃんやふうちゃんが歯ぎしりして守りぬこうとしているものにこそ、日本の明日があるのだ。
*・・・その明日を、さらに奥深く考えぬくために、灰谷さんは、自分の生活をまるごと淡路島へ移した。
ゆっくりと考えつつあるその作者が、「あそびましょ」と、明日も、ゆっくりと近づいてくる。日本読書新聞 1982年10月18日
投稿者: エディターズミュージアム
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