2015/7/1
父の最後のエッセー集となった『映画(シネマ)は《私の大学》でした』。
2006年1月から2009年3月にかけて映画雑誌「シネ・フロント」に連載されていたものが、一冊の本にまとまり、父が亡くなった年の7月に刊行されました。
ひとりひとりが心の中に“自分の大学”を持つことの大切さを、父はその題名で示そうとしたのだと思います。
「2年間の連載を引き受けたよ」と話す90歳間近の父にびっくりしたのですが、結局連載は3年間続きました。若い頃からの映画への思いがあふれ出てくるかのようでした。
岩波ホールのエキプ・ド・シネマ、第138回ロードショー「夕映えの道」のパンフレットに父は次のような文章を寄せています。 2015.7.1 荒井きぬ枝
現代哲学としての映画芸術
―岩波ホール/エキプ・ド・シネマの30年― 小宮山量平 (前略) 21世紀的Great work
岩波ホールが私たち一般観客にとってこの上もない「教室」となったことは、まぎれもない事実です。
それは大正から昭和初期にかけて語りぐさとなっている築地小劇場(1924〜1945)の果たした役割に劣らぬ役割を果たしつつあるといっても過言ではありません。
すでに30年に及ぶその歴史をかえりみれば、単に多くの観客がその「教室」に学んだだけではなく、じつにたくさんの創作者たちがその門から輩出しつつあります。そんな観客たちとそんな創作者たちとの同時代人的協業の中からは、単に狭義の「映画芸術」だけではなく新しい映像文化が、何よりも先ず「哲学的」に生まれ出てくるに違いありません。
レイ監督(*1)は「回帰」について多くを語っております。ワイダ監督(*2)は「受容」について語りつづけてきました。ちょうどあのアコヤ貝のように、その胎内に異物を挿入され、それを排除しようと身をよじって苦しみ、やがて苦しみのあげくに自らの胎液をもって異物を包み込み、遂にはその胎内に美しい真珠を結晶するように──回帰と受容という二つの精神こそは、単なるノスタルジーでもなく、無際限の寛容でもありません。
自らの創造力という巨きな苦悩を存分に注ぎ込んでのあげく、あのミルキーな結晶は生まれ出るはずです。
すでに岩波ホール上映作品の中にも、そういう結晶体の幾つかは生まれ出て、公開されています。
いや、先駆的な既上映作品の中にも「大いなる幻影」とか「旅芸人の記録」とか「宋家の三姉妹」のような21世紀にも語り継ぐべき大作品は生まれております。また「ピロスマニ」や「八月の鯨」のように、独得な意義が何度でも語り繰り返されるような記念的作品もGreat Workと呼ばれるべきでしょう。とりわけ、映画創造上のさまざまな苦難を克服してこんなにも平明に人間の誇りを語り得た「夕映えの道」をGreatWorkとして数えることに、私は躊躇しません。単にLaborを切り売りする人間ではなく帽子作りというWork(仕事)の誇りに生きた女主人公の気高さがわすれられないのです。 (作家) (*1) レイ監督 (注)第一回上映作品「大樹のうた」の監督 サタジット・レイ (*2) ワイダ監督 (注)「コルチャック先生」他 ポーランドの監督 アイジェイ・ワイダ
投稿者: エディターズミュージアム
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