2015/7/15
先日、無言館の窪島誠一郎さんがみえて、澤地久枝さんからいただいたお手紙を見せて下さいました。 “安倍政権の非道に抗議をしましょう。2015年7月18日(土)13時「アベ政治を許さない」のポスターをいっせいにかかげましょう。文字は俳人の金子兜太さんが書いてくださいました。 一人ひとりの意志で繋がる抗議行動です。” 最後に、その日時点(7月6日)での呼びかけ人の方のお名前が記されていました。 「小宮山先生がいらしたら、きっと呼びかけ人になってくださったね」。窪島さんがそうおっしゃいました。 私はその場で協力を申し出ました。呼びかけ人はさらに増えています。「拡散していただきたいのです。」澤地さんの言葉です。 上田では“上田駅前水車前に集まりましょう”という呼びかけが広まっています。 この文章を書いている間に、たった今、「安全保障関連法案」、まさしく「戦争法案」が特別委員会で強行採決されてしまいました。 3人の孫たち(男の子です)の顔が浮かんできます。この子たちを戦争に行かせてはならない。 今、強く思っています。 2006年に刊行された「悠吾よ!―明日のふるさと人へ」から。 以下の文章が“現在(いま)”と重なります。父の怒りの声が聞こえるような気がします。2015.7.15 荒井 きぬ枝
何と醜い人間だろう
小宮山 量平
それにしても、何と醜い面々が居並んでいることだろう!・・・・・と、思わずも口をついて出たのが、つい最近、「郵政民営化」とやら申す法案なるものが、改めて衆議院を通過し、次いで参議院まで、ケロリとした数合わせだけで通過したその直後。───どの面下げてとでも言うより他ない例によって例の如き顔ぶれが、ニタリとした表情で、固く握手をしたりして笑っている写真が、新聞の一面を飾ったりしているではありませんか。長年マイノリティとして、格別気にもせず、馴れっ子として世のオエライさんの陽気ぶりを眺めやることに馴れたつもりのジイサンなのですが、今度ばかりは、少々くたびれました。 よくもまあ、人間でありながら、これほど醜くなりうるものか・・・・・・と、ただただびっくりするばかりでした。せめてのことに、悠吾たち二十一世紀を生きる者たちに、こんな醜悪さを申し送ってはならない、と、二十世紀を丸ごと生きてきた老骨としては、つくづくと述懐せずにはいられませんでした。 いつごろ、どのようにして、あのような醜さがうまれたのでしょうか。もともと政治家と言えば、井戸塀というコトバの如く、わが家の井戸を涸らしたり塀までも売り払ったりしても、世につくすという誇りに身も心も奪われて、明朗に生きぬく、男の中の男の仕事でありました。 そんな心意気に燃えた男の子を生み育てた親たちはそれを誇り、そんな一家を仰いだ村や町や、わが郷党の誇りとしたものです。そんな誇りをステイツマンシップと称して、どこの大学なんかでも、そうした誇り高き人物を産み育てようと、教育の体系を練りに練ったものです。 (中略) 今やわが国の政治からは、そんなロマンの輝きは失せて、縁あってその世界に関わりを持とうものなら、財界人であれ、学者であれ、芸術家であれ、宗教家であれ、忽ち腐臭を放つほどに汚れ果てざるを得ないのが実情のようです。 むざんなまでに人間喪失の悲劇を見せつけてくれる「チルドレン」なんて見世物づくりを見るにつけ、もはやわが国の「第二の敗戦」も底をついたなあ、と呟かずにはいられません。 (後略)
2006/3
投稿者: エディターズミュージアム
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