2016/3/16
「トルストイのこどもの本」全6巻は、トルストイの“児童読本創刊100年記念”として1972年に理論社から刊行されました。 その翌年に刊行されたトルストイの絵本「フィリップぼうず」の《解説》で、父は次のように書いています。 (前略) 今から100年まえ、当時のロシアがヨーロッパ先進国に追いつくための近代化 の歩みに熱中し始めた頃、トルストイは、やがてとてつもない魂の荒廃が支配的 になるだろうと、予感しました。 これとたたかうためには、明日をになうこどもたちの心に、偉大な魂との対話が 育つようにしなければ・・・・・そう考えたトルストイは、“戦争と平和”の発表による 世界的な名声もなげうって、故郷ヤースナヤ・ポリャーナへ引きこもり、《児童 読本》の創造に数年間も心血をそそぎました。 (後略) すでに20歳のころ、郷里で農民の子どもたちのために学校を開いたトルストイは、次第にその教育理念を高めていきます。 「上からの干渉から自由な、教育に対する民衆の要求に立脚した学校」 それが、トルストイの《自由学校》の理念でした。 「上田自由大学」を継承しようと、戦後ふるさとのこの地で「千曲文化クラブ」を設立した父、そして「私の大学」の構想。やがて、子どもの本づくり。 トルストイに終生心を寄せていた父でした。 亡くなる10日ほど前、父が「さがして持ってきておくれ」と言った本があります。文芸読本『トルストイ』(1980年、河出書房新社刊)。 トルストイの作品“イワン・イリイチの死”の部分を開いて、まるで聖書のようにまくらもとに置いたのでした。 何故最期にその作品を・・・・・。ずっと気になりながら、いまだにそのことを探りきれずにいます。 2016.3.16 荒井 きぬ枝 トルストイのこどものための本ー刊行のことば 小宮山 量平
(前略) ───そして、この荒廃です。こんにち、公害とか断絶とか、叫びに叫ばれる 現実の深淵を正視し、日本のこどもたちが失いつつあるものを考えてみるならば わたしたちのすべては、いつしか、加害者となっている自分を発見しないでは いられません。こどもたちは、広場を奪われました。自然から引き離されました。 いや、未来と希望という最大の宝を剥奪され、へし折られたというべきでしょう。 もはや、わたしたちがこどもたちに、広場を返し空気を返し土地を返してやること すら不可能なのです。 せめて、恐れを知らない若い魂が、やがてこの現実の克服者として成長し、わたし たちが失わしめたものを、かれら自身の力によって回復してくれるようになるか どうか・・・・・希望はわずかにそこにかかるのみでしょう。 かってトルストイも、必死の思いで、若い魂の自由で逞しい成長にのぞみをかけた のでした。あの『戦争と平和』の力作に成功した大作家が、あえて次作の筆を折り、 栄誉をなげうち、ふるさとの農民たちの中に新生を見出し、そしてこどもたちの 《自由な学校》の構想に、偉大な才能と情熱のすべてを打ち込んだのです。 かの大作家が、児童文学も書いたというのではなく、この仕事にこそ、最大の生き 甲斐をおぼえて没頭したわけです。 そんな情熱によって創造された《自由な学校》の構想が、今こそ、わたしたちを呼 び覚ます時代なのではないでしょうか。 (後略) 「絵本 フィリップぼうず」 理論社で絵本を出版できる日がきたら、その第一冊には、
トルストイの作品を、パホーモフのさし絵で・・・とかねて
から夢みておりました。(「解説」より)
父の机に置かれていたトルストイの額
投稿者: エディターズミュージアム
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