2016/9/21
チャップリンの「独裁者」は、1940年の10月に公開されています。
チャーリーが映画の中で世界によびかけた大演説は、いろいろな訳し方をされていますが、父は父自身の言葉で、この本を読もうとしている子ども達に、わかりやすく語りかけるように訳しています。
そして、父の文章は次のように続きます。
今、“戦争のできる国”へ舵が切られようとしているこの国を思う時、あらためて子ども達に、若者達に伝えたい父の言葉です。
「戦争は人の死が数で語られる・・・・・」父はよくそう言っていました。2016.9,21 荒井 きぬ枝
(前略)
歴史は、チャップリンのふかい祈りを実現する方向をたどったかにみえました。
デモクラシーの名において世界は団結し、1945年には、イタリア、ドイツ、日本が相次いで敗れ去って、ようやく、世界に平和はおとずれました。
だが、するどい知恵と感覚にめぐまれたわが喜劇役者は、ようやくかちえたデモクラシーと平和の勝利のうちに、あたらしい憎悪や貪欲のにおいをいちはやくかぎわけないではいられなかったのです。
かれは、デモクラシーを守る、という名のもとに、大戦の末期に近く、日本のヒロシマやナガサキで、原爆が用いられ罪もない何十万の人びとが、いっしゅんのあいだに殺されたことに、ふかい疑いの眼をむけました。
(中略)
むざんな原爆が、しかも、もはや戦争も終わろうとする寸前にもちいられたことは、なんとしても、おだやかならない気持ちだったのです。
(中略)
戦争は、国家というものの本性から生まれる避けがたいものなのでしょうか?
人間の人間にたいする殺意は人の本性に根ざしたものなのでしょうか?チャップリンは、自分にたいし、そしてまた世界に向かって、こう、深刻な問いを発せずにはいられなかったのです。
かれが、その痛烈な疑問を世界に向かってなげかけた作品『殺人狂時代』を送ったのは、1949年のことでした。
──いまの世のなかでは、自分が安楽に生きるためなら、人を殺すことぐらいはなんとも思わない人間が生みだされています。ヴェルドウ氏(注)チャップリンが演じた『殺人狂時代』の主人公―もそういう人間の一人です。
かれは、へそくりをためこんでいるような未亡人たちに近づいては、つぎつぎと仲よくなり、やがて平然と毒殺し、お金を失敬して立ち去ります。そして、家へ帰ると、きわめてよき夫であり、愛すべきパパなのです。
だが、かれの巧妙な犯罪もついにしっぽをつかまれ、とうぜんかれは死刑になるわけです。そのヴェルドウ氏は、さいごに臨んで、こういうのです。
「たしかに、わたしは人殺しをしました。しかしこれは、わたしにとって生きるための仕事であって、ちょうど、あの戦争屋たちが、平気で数百万人もの人間を殺す仕事をやっているのと同じです。戦争屋は、いまでも女子供を一ぺんに大量に殺す兵器をつくってもうけています。かれらの仕事は、大っぴらなのです。いまの世の中では、一人殺せば罪になりますが、百万人殺すものは英雄になるのです!」
一人の人間が平気で人殺しをするすがたをみせつけられたとき、誰もが、それを恐ろしいことだと考えるのに、こういう人間をたくさんつくりだす世の中のしくみや、もっと大きな人殺しをやる事業が、どんどん栄えていることには平気でいられるとしたら、ほんとうにこっけいな話です。
『殺人狂時代』は、このこっけいさを、思うぞんぶんにえがきました。
(後略)
父はこんなふうに原稿用紙に書き遺していました。
投稿者: エディターズミュージアム
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