まつもと市民芸術館で、チェーホフの「かもめ」を観てきました。
1950年劇団民藝は創立公演にこの「かもめ」を上演しています。その時のトレープレフ役だった宇野重吉さんが演出にまわられた1969年の「かもめ」のパンフレットが今手元にあります。(父は130冊ほどの民藝のパンフレットを遺しています)
原作を読み、このパンフレットで舞台写真を見ていた私にとって、今回の熊林弘高演出の「かもめ」はおどろきでした。
これがチェーホフの「かもめ」?・・・・・・
けれど、見終わった時、私の心の中に残っていたのは、“ああ、チェーホフの「かもめ」を観た・・・・・”という感動だったのです。確かにそれはチェーホフの「かもめ」でした。
スタンディングオベーション、4回のカーテンコール。
1969年の民藝の公演のあと、1987年、1994年に父は「かもめ」を観ています。(いずれも東京演劇アンサンブル)
父と「かもめ」について語りたかった・・・・・・。
『くり色の犬−チェーホフの本』(1958年、日本児童文庫刊行会刊)という一冊が遺されています。
訳者の樹下節さんから父あてに“敬呈”とありました。
樹下さんは解説の中でこんなふうに記しています。
みなさんは、十九世紀のロシアの作家、チェホフをごぞんじでしょうか?チェホフは、こどもむきのお話よりは、おとなのための小説やおしばいを、よけいに書いたひとですから、みなさんのあいだでは、ぞんがいしられていないかもしれませんね。でも、かれは本国(ソ連)では、児童文学者としても、ひじょうにたいせつにされており、作品も国語教科書にとりいれられたり、まとまった一冊の本として出版されたりして、ソ連のこどもたちのあいだで、ひろく読まれています。(後略)
チェーホフの絵本『迷子のカシタンカ』が理論社から刊行されたのは1975年のことです。訳は樹下さんです。
表紙をめくったところに父の言葉がありました。
“ほんものを届けたい”。────
子どもたちと向き合う時の、父の変わらぬ姿勢です。
2016.11.30 荒井 きぬ枝
“絵本の国”からこんにちは
ソビエト絵本傑作シリーズ
プーシキンによってひらかれたロシア近代文学の第一歩から、子どもたちの宝と親しまれる楽しい作品は生まれていました。
トルストイもチェーホフも、珠玉の物語を数多く残しましたが、この伝統を、ソビエト時代のチュコフスキーもマルシャークもりっぱに受け継ぎ発展させたのです。
当然、世界的な画家たちが、これらの作品を現代の子どもたちに親しませてくれる絵をみごとに描き、多くの絵本が結実しました。人生の第一歩をふみだす子どもたちの心に、格調高い作品と絵の結晶を贈ることによって、芸術への深い愛をめざめさせる・・・・
そういう配慮にみちた宝庫をさぐって、日本の子どもたちにも親しまれ、学校や家庭の宝となるような代表作を、まず10冊選んでみました。(*)
(*) 全10巻は、この他に
『ごきぶりゴン』(チュコフスキー)
『ねずみのぼうや』(マルシャーク)
『五ひきの子ねこ』(イオン・ドルチェ)
『フィリップぼうず』(トルストイ)
『絵本ビアンキ動物記』(V・ビアンキ)
『サルタン王のものがたり』(プーシキン)
『王女と七人の勇士』(プーシキン)
『あいたた先生』(チュコフスキー)
『せむしのこうま』(エルショフ)