小宮山量平の「私の大学」
永六輔さんを偲び特別講座
週刊うえだ 2016.12.17掲載
上田駅前のエディターズミュージアムは11月26日、7月に83歳で永眠した永六輔さんを偲ぶ「小宮山量平の『私の大学』特別講座」を開催。戦時疎開して上田中学(現上田高校)に通い、いじめられた体験などから、“上田がきらい”と公言していた永さんが1996年、名編集者・小宮山量平さんの誘いで梅花幼稚園で開いた“和解”の講演会のビデオを参加者が観賞し、永さんの言葉を反芻しました。
冒頭で小宮山さんの長女でミュージアム代表の荒井きぬ枝さんが、「この講演会の後、永さんは上田を頻繁に訪れ、ミュージアムを創設時から支えてくださった」「昨年5月の来館が最後だったが、晩年は憲法9条を守ることが一番大事だと訴え続けた」とあいさつ。
映像のなかの永さんは機知に富んだ話術を精力的に展開し、「実は上田がきらいだったわけじゃなく、戦争の時代が大きらいだった」。当時の会に出席していた参加者も多く、懐かしそうに見入っていました。
また、永さん作詞の名曲「見上げてごらん夜の星を」「上を向いて歩こう」などのサクソホーン演奏では参加者も思わず合唱し、永さんが手がけた絵本や最晩年の詩も朗読して紹介。詩の最後のフレーズ「死にはする/殺されはしない。/殺したり殺されたりはさせない/殺したり殺されたりはしない/流れ星の音がききたい」は、参加者の胸深く届いたようで、荒井さんは「永さんに“憲法はしっかり守りますよ”と言いたい」と結びました。 週刊うえだの記事の中にある永さんの詩の全文を、今回は父の言葉に代えてお届けします。
戦後70年に寄せて永さんが作られた詩です。東京でのお別れの会では、永さんのお孫さんがこの詩を朗読されました。 戦争に反対する永さんの強い思いが込められている詩だと思います。2016.12.22 荒井 きぬ枝
あの年の8月15日
森の中の国民学校校庭
ポツンとラジオがおいてあった
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・、
不安そうな大人たちが囁いてラジオは切られた
8月は 6日9日15日
僕の気持ちで言うと 3月10日の東京大空襲
6月23日の沖縄も
過去 現在 未来を貫く音があると知り
流れ星の音がききたい
生命と生命が出逢いやがて分かれることを知り
男と女のかもし出す音
赤い糸の切れる音
戦争を知らない子供達が
すっかり大人達になった
70年の歴史
言葉の中には数字
歴史もまた数字の世界
数字はことば
ことばは思想
数字は思想 70年のいま 死にはする 殺されはしない 殺したり殺されたりはしない 殺したり殺されたりはさせない
殺したり殺されたりはしない
流れ星の音がききたい
ディターズミュージアムの開設のお祝いにかけつけて下さった永さん(2005年11月)
その時の言葉が遺されています。
「この館にはまず、上田の人がたくさん訪れ、その一人ひとりが、
“こんなに素晴らしいところがある”と 伝え、全国に“ここは大事な
場所なのだ”ということを広めていってほしい」