2017/2/1
少し時間ができたので、ハードディスクにためてあった幾つかの番組を見ました。その中の一つ、アメリカの女優、キャサリン・ヘップバーンの一生を描いたドキュメンタリー。ハリウッドの“赤狩り”に抵抗してスタジアムでスピーチするヘップバーンの声が遺されていました。
彼女が晩年に出演した「招かれざる客」。黒人の青年と結婚したいという娘にとまどう両親。両親の苦悩は、そのままアメリカの苦悩でもあったと思います。アメリカにはその苦悩を乗り越えてきた人々の歴史があります。
ドキュメンタリーは、私の心の中に「アメリカの良心」と「アメリカの知性」を思い起こさせてくれました。けれど今、その二つが揺らいでいます。崩れていきます。 ──愛すべきホイットマンやトゥエインを生んだ誇りそのものを踏みにじり── 『アメリカが滅びる日』というエッセイに父はそんなふうにも記しています。
どうしよう・・・・・と見上げた本棚に灰谷健次郎さんの著書『アメリカ嫌い』(1999年 朝日新聞社刊)がありました。
朝日新聞に連載された《いのちまんだら》(1998.5.20〜1999.3.31)をまとめたエッセイ集の、この本の題名にもなった「アメリカ嫌い」という一文を読み返してみました。
18年も前の灰谷さんの怒りが、今現在の私の怒りと重なります。2017.2.1 荒井 きぬ枝
アメリカ嫌い
灰谷健次郎
子どものころ、誰それが嫌いというと、そんなことをいうもんじゃない、誰とでも仲良く遊びなさい、と母親に、こっぴどく叱られた。それで、この文章も、親の目を気にしながら書いている。
(中略)
思想形成時代、韓国の民主化闘争やベトナム戦争をつぶさに見てきた。よくここまでやるな、というほどの陰謀と覇権主義に、アメリカにはほとほと愛想がつきるという気分にさせられる。
建国の歴史が先住民虐殺の歴史そのものであり、黒人に対する白人の差別と暴力主義は容易に克服されず、銃社会がしめすように、生命に対するこまやかさのきわめて乏しい国というのが、わたしのアメリカ認識だった。
アメリカスタイルの合理主義というのが、これまた曲者で、商業主義とつるんで、世界中をわがもの顔でのし歩く。
海外に出るようになって、この怪物の、他国への経済侵略、文化破壊のすさまじさに目を見張った。日本も含めて、世界のおおかたの都市はアメリカナイズされてしまっている。
親の目がこわいのでアメリカ批判はこのへんに留めておくが、もしアメリカの文学、映画というものに出合っていなければ、わたしはアメリカを悪魔の住むとんでもない国だと思い込んでいただろう。当たり前のことだが、アメリカにも思慮深い人、礼儀正しい人、心優しい人は数多くいる。この国に、そのような政治の指導者が少ないのは、我が国と同じで残念である。
(中略)
ついでにいってしまうと、わたしのアメリカ嫌いは、日本の保守政治家嫌いとつながっている。真の友は、時には相手にとって耳の痛いことも言うものだが、そんな事例を求めるのは砂場でけし粒を探すほどむずかしい。
新しい政治の指導者になると判で押したように「アメリカ詣で」をくり返すが、一人の日本人として、そのたびに、ひどく恥ずかしい思いにさせられる。
もっともらしく「成果」を誇示すると、いっそう恥ずかしくて、ついついうつむいてしまいたくなるのだ。
政治家嫌いはいっこうに改まらない。親がいっていた誰とも仲良くしなさいということばを実践するのは、けっこうむずかしい。
わたしはけんか早いし、好き嫌いも激しい。親はその性格を見抜いて、早々に釘をさしていたのだろう。さて、どうするか。
投稿者: エディターズミュージアム
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