2017/2/22
いま、私をはげましてくれる言葉があります。
決して絶望しすぎず
希望を持ちすぎず
けれど自分の仕事をする
2000年のはじめに
渡辺一夫先生 遺語
父はこの言葉を色紙に書いて遺してくれました。
この国のありように、心がくじけそうになる時、私はいつもこの言葉を思い浮かべます。
そして、あらためて胸にきざむのです。
そうだ、自分に今できることを……と。
渡辺一夫先生のことを知りたくて、父の本棚から抜き出した一冊の本。
『きけわだつみのこえ』(1949年東大協同組合出版部刊)
渡辺先生が巻頭に「感想」を書かれています。
(前略)
僕は本書があらゆる日本人に、特に最近の戦争のことを忘れてけろりとしてゐる人々に、のんきに政争ばかりしてゐる政治家に、文化生活を謳歌する紳士淑女に、深遠な学理に耽る大学教授に、娯楽雑誌以外は本など読まぬ実業家に、幼い頃「楓のやうな手をあげて」「兵隊さん萬歳」と言ったことのある今の若い学生諸君に……読まれてほしいと思ふ。(後略)
70年の時をへだてても心にひびく言葉です。
防衛大臣がどう言い逃れようとも、“戦地へ派兵”されたひとつひとつのかけがえのない命に思いをはせずにはいられません。
やさしさの行くえ
第7章 戦後派世代の登場
小宮山量平
今にして《不戦決議》ひとつに戸惑っている日本の現状をみつめながら、優しく微笑をたたえて、わが友五味川純平は逝ったというのである。諦念というべきか。断念というべきか。またしても私の心によみがえるのは、かの日本戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』の声ごえなのである。
その手記の多くは自らの死をみつめ、その胸中に熱く「祖国」を探り当て、それに愛する誰彼の温もりを重ね合わせ、ひそかにほほえんでいる。そういうやさしさがぎっしりと収められた手記集の巻頭に寄せられた渡辺一夫氏の「感想」の最後には、フランスのレジスタンス詩人、ジャン・タルジューの短詩が掲げられている。
死んだ人々は、還ってこない以上/生き残った人々は、何が判ればいい?
死んだ人々には、なげく術もない以上/生き残った人々は、誰のこと、何を、なげいたらいい?
死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?
そして渡辺氏は、「若くして非業死を求めさせられた学徒諸君のために、僕は心からの黙祷を献げたいと思う」と結んでおられる。
その日から半世紀近くが過ぎて、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんは、先ず恩師渡辺先生のヒューマニストとしての学恩をたたえ、敢えて自分たちの世代を戦後派と呼んだ。
かの「わだつみ」に散華した人びとが凝視し続けた思いに、戦後を生きる私たちは、どう答えたらいいのか? その答えを求めて歩み続けるヒューマニズムの新生の課程に、あの学徒諸君の微笑が重なる。五味川純平の断念に立つやさしさが重なる。そして、大江さんの作品の「やさしさ」のテーマが、ひとすじの光となっている。
色紙はエディターズミュージアムに置かれています。
投稿者: エディターズミュージアム
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