2017/8/2
この7月、乙骨淑子さんの『ピラミッド帽子よ、さようなら』が“理論社70周年記念新装版” として刊行されました。
映画『君の名は。』の監督新海誠さんの解説文に引きつけられました。
作者の死による、未完の物語。
そういう本は、世の中にどれほどあるものなのだろうか。そもそも刊行が困難なはずだから、それほど多くはないはずだ。僕にとっては本書『ピラミッド帽子よ、さようなら』がその最初であり、それは人生を変えてしまう衝撃的な出会いだった。───まったく誇張ではなく。(中略)
1980年代、まだ十歳に満たない頃だったと思う。放課後の薄暗い図書館でやたらに分厚い本を見つけ、なにげなく書架から抜き取った。(中略)
誰にも教えたくない。これは、乙骨淑子さんというすこし怖い名前の女の人が、僕のために書いてくれた、僕だけの本だ。 (中略)
僕は今でも、乙骨さんにかけられた呪いのもとにある。あるいは、あれは祝福だったのかもしれない。どちらでもいいけれど、とにかく。(中略)
自分なりの旅をずいぶん長く続けてきたけれど、あの頃乙骨さんが見せてくれるはずだった風景は、まだ描けていない。
『ピラミッド帽子よ、さようなら』の初版は1981年。編集・制作 小宮山量平。
〈理論社創立70周年記念〉として、1959年から戦後日本の創作児童文学の道を切り拓いてきた小宮山量平という一編集者にスポットを当てた番組をBSイレブンが企画してくださいました。タイトルは以下の通りです。
BS11 2017年夏休みスペシャル企画
「ニッポンの創作児童文学・名作の旅」
〜子どもたちの心に種子(タネ)を蒔いた男〜
(8月13日 17:30 放映予定)
何度かの打ち合わせがあって、7月31日が収録の日でした。ナビゲーターとして、インタビュアーとして、フリーアナウンサーの小島奈津子さんが出演してくださいました。
午前中、千曲川の風景、父の生家跡、父が通った西小学校で収録。午後はミュージアムで本棚を前に小島さんといろいろお話をさせていただきました。
小島さんは上手に私の話を引き出してくださいました。けれど、「小宮山さんが創作児童文学をはじめたのは何故ですか?」というあまりにも大きな質問に、私がどれだけ答えることができたか・・・・・・。
収録が終わった今も、私は父の言葉を、父の思いをさがしています。
2017.8.2 荒井 きぬ枝
『わが信条』の世界から(三)
「ああ、もう駄目だ!」と、実際に声に出して、私は何度も呟いた。あれほどの敗戦を体験したわが同胞が、あっけなくも再び朝鮮戦争以来の軍需景気をテコとし、戦争の論理=競争原理に立ち返って、すさまじい繁栄の道へといそしむ状況を、私は切ない思いでみつめていた。
アルバート・カーンの『死のゲーム』という本を翻訳出版しながら、アメリカの戦争政策のしわよせが青少年たちの心をどんなに破滅させつつあるかを知らされたことも一つの動機となった。
ありがたいことに、私の絶望を食い止めるようによみがえったのは、あの〈赤い鳥〉である。
危機意識に不感症の私たちが、やがて二十年後三十年後に改めてほんとうの「敗戦」を味わうにちがいない、とすれば、その危機そのものに直面してたじろがない新世代の誕生を願わなければ・・・・・・そう思うと、もはやわが知的世界はコップの中のたわごとのようにむなしく思えた。
もう一世代をかけて、強靱な魂の誕生を、自立的な精神の形成を・・・・・・と、もはやたわごとの世界は私の中で急速に色あせた。
こうして、いわゆる60年安保の前夜の頃、思い切って子どもの本の出版へと踏み切った時、理論社の「理論」という標号は堅苦しくないか・・・・・・との忠告もあった。が、まさに子どものうちから自立的精神をと願うことこそ、最高の理論的気風なのではないかと、私は胸を張った。(後略)
「来し方の記」(昭和57年信濃毎日新聞社刊)より
『ピラミッド帽子よ、さようなら』新装版
投稿者: エディターズミュージアム
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