2017/12/20
モンテーニュの像の前に立ったのは、パリに着いて二日目のことでした。 この十六世紀のモラリストが、今の世を見たならば悶死するに違いなかろう。(中略)
「寛容」という最高の人間の知恵こそが、当今の文明社会から失われているのだ。 父が “今の世” と記したのは1997年のことです。
それから20年を経た “今の世” に、この文章はそのまま重なります。いえ、もっとひどい “今の世” になっているのです。
パリのカルティエ・ラタンの一角。モンテーニュの像の前で、私はしばらくたたずんでいました。
1999年から毎年パリを訪れるようになったのですが、一年だけどうしても行けなかった年があります。
2006年、灰谷健次郎さんが亡くなられた年です。灰谷さんの病状が思わしくなく、そのことを案じて過ごしている父を置いて旅立つことができませんでした。
「何があっても行っておいで」・・・・・・・。毎年必ずそう言ってくれる父でしたけれど、やはり旅立てませんでした。
11月23日に灰谷さんは亡くなられました。
葉山に住む私の大切な友人から水仙が大きな束で届けられたのは、その11月23日から間もなくのことでした。
「先生ときぬ枝さんのなぐさめになれば・・・・・・」と。
それから11年が経ちました。
「そろそろパリからお帰りでしょうか?」───
そんな言葉が添えられて、今年もまた水仙が届きました。 2017.12.20 荒井 きぬ枝
投稿者: エディターズミュージアム
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