2017/12/27
1977年の12月25日、クリスマスのその日にチャップリンは亡くなりました。
「笑いと涙の芸術家・チャップリン」(少国民の偉人物語文庫、1958年岩崎書店刊)を書いた父は、新聞等の追悼記事をくまなく切り抜いて、スクラップブックにおさめていました。
大きな見出しが並んでいます。 ──チャップリン死す X’マスに88歳の “生涯”
──喜劇王、クリスマスに逝く
──国越えて愛されたチャップリン 心打つ反ファシズムの生涯
──笑いと反骨の自由人 チャップリン 五十枚にも及ぶ切り抜きが、チャップリンを愛した父をしのばせます。
2017年12月25日付の朝日新聞「天声人語」です。 (前略)
喜劇王が没してから、きょうで40年。笑いでファシズムに立ち向かった「独裁者」を改めて見ると、現代に刺さる言葉がある。チャップリン扮する床屋が、ひょんなことから独裁者になり代わり演説する場面だ。
「貪欲が人間の魂を毒して、世界中に憎しみのバリケードを築いてしまった」「世の中のスピードは速くなったが、私たちは自分の穴に閉じこもるようになった」。しかし本当は、お互いに助け合いたいと思うのが人間ではないかという訴えである。(後略) その演説の部分を、父の著書の中で読み返してみました。 「・・・・・わたしたちは、おたがいに助けあいましょう。人間とは、そういうものです。わたしたちは、他人の不幸によって生きるのではなく、他人の幸福によって生きようと思っているのです。おたがいは、憎んだりさげすんだりしたくはないのです。世界はひろく、大地はゆたかで、すべての人に糧をあたえます。・・・・・ところが、貪欲が人びとの魂をけがし、世界に憎しみのとりでをきずきました。それは兵隊の歩調をとりながら、わたしたちを、みじめさとたたかいとに追いこんだのです。わたしたちはスピードをつくりましたが、自らそのとりことなりました。富をあたえるはずの機械は、かえってわたしたちを貧乏にしてます。
・・・・・わたしたちは、機械よりも人間性を必要としてます。知恵よりも、親切ややさしさを必要としてます。
それらを失えば、人生は暴力が支配し、すべては失われるでしょう。・・・・だが、わたしは声のとどくかぎり皆さんに申します。けっして絶望してはいけません。いまわたしたちのうえにある苦しみは、貪欲の一時的なしわざであり、人類の進歩をおそれる連中の憎しみが生みだしたものです。
人間の憎しみは亡び、やがて独裁者たちは地上から姿を消し、かれらが民衆からうばいとった権力は、ふたたび民衆の手にもどるでしょう。人間であるかぎり、どんな独裁者でも死んでしまいますが、自由はけっして死にません。・・・・・・
・・・・・さあ、わたしたちはたたかおうではありませんか。世界を自由にし、国境をなくし、貪欲や憎悪やみじめさをなくすために。理性の世界のために。科学と進歩とが、あらゆる人の幸福に役立つような世界のために。さあたたかおうではありませんか!」 ファシズムに立ち向かい、戦争を憎み、機械化を風刺したチャップリン。
けれど決して絶望をしてはいけないと・・・・・・。
チャップリンのことばを、今の時代を生きる私たちへのクリスマスプレゼントとして、受け止めたいと思います。2017年12月27日 荒井 きぬ枝

父のスクラップブックより
投稿者: エディターズミュージアム
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