2018/8/8
作家の山中恒さん。
毎年土用の丑の日に合わせて、蒲焼きの注文をくださいます。
“注文をいただくと、父はいつもとても嬉しそうでした”───
今年のお礼状にそう書かせていただきました。
山中恒さんの『とべたら本こ』(1960年刊)を読んだのは中学一年生の頃だったと思います。創作児童文学の最初のシリーズ「創作少年文学」の一冊として刊行されました。
濃いみかん色のきれいな箱に入っていました。箱と表紙の装丁は熊谷直勝さん、さし絵はいわさきちひろさんです。
“あとがき” に山中さんはこう著されています。 (前略)
僕は、今まで少年少女小説をいろいろ書いて来て、この<とべたら本こ>のような物語は、用心深いお母さんや、先生方からは、決して喜ばれないことは、わかっていたんだよ。
ことによると、或るお母さんは、こんな本はいかんというかも知れない。そうなると、この本は、その分だけ読んでもらえない。
だからと言って、お母さんは、本一冊を買わないことにするほど、手軽に、ものすごい現実のあらしをふせげるだろうか。
そう考えた僕は、どうしても、この物語を書かずにはいられなかったのさ。そして、これが、僕の義務だと考えたんだよ。だから、ガリ版ずりでいいから、本にして、僕の知っている君達の仲間に読んでもらおうと思っていた。
ところが、僕と同じようなことを考え、この物語に出てくる高橋邦夫氏とそっくりな人が、この物語を原稿のままよんで、何も言わずに、こんな立派な本にしてくれたんだ。それが、理論社の小宮山さん。(後略)
“戦後創作児童文学” の歴史は、1959年に始まりました。同じシリーズの『荒野の魂』がその記念すべき第一冊目でした。
こどもだからこの程度でいい・・・・・ではなく、心血を注ぎ、こどもたちと真剣に向き合う若い作家たちがいました。そして、そのような作品をしっかりと受け止める力が、こどもたちにはあるということを、父は信じていました。
『とべたら本こ』の “まえがき” に父の思いが記されています。2018.8.8 荒井 きぬ枝
はじめに * みかん色のシリーズ
日本の作家が、日本の少年少女のために、心血をそそいで、新しく大きな作品を書いてくださるように・・・・・。いつまでも、外国の作品や、過去の名作ばかりでなく、こんにちの日本の少年少女たちの生活にふれた作品を・・・・・。作者も読者も、そして、家庭でも教室でも、みんなが、そう考えた気持ちがむすびあって、「創作少年文学シリーズ」が生まれました。赤いおそろいの箱にはいった、その最初の四冊は、日本じゅうへ泉のようにしみわたっていきました。
それが、新鮮なよび水となったように、ぞくぞくと、日本じゅうから、長篇創作少年文学の力作がよせられるようになりました。そのすばらしい成果の中から、こんどは、みかん色の箱にはいった四冊をお送りしましょう。*
『とべたら本こ』のカズオくんは、ずいぶん変わった運命に、めぐりあいます。しかし、誰もが、このカズオくんの運命を、他人ごととは思えない気持ちで、はらはらすることでしょう。こんなに、はらはらさせる物語は、これまでなかったといえるほどです。
それというのも、今、日本の少年少女たちは、カズオくんが経験したような運命を、誰もが経験しないではいられない時代に生きているからです。眼にみえない運命の綱が、あなたのゆくてに、いくつもいくつも、ぴいんと張られているはずです。みんなは、ちからいっぱい、からだじゅうのはずみをつけて、ぴょーんと、とびこえ、とびこえ、成長していくわけです。
この物語が、そういう跳躍力を、どんなふうに、みなさんに送りとどけてくれるか───とても楽しみです。ずいぶん高く張られた綱や、とうてい跳びこせそうにもない溝が、この日本じゅうに、どんなにたくさんあったにしても、やがて日本の少年少女たちが、すばらしいちからで、それらを跳びこすだろう・・・・・と、今、みんなが眼をみはっているのです。
“とべたら本こ” の意味は・・・・・・ゴムとびする時、良くいいますね。
<おためし、とべたら本こ>・・・・・・あれです。
投稿者: エディターズミュージアム
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