2011年3月11日東日本大震災───。
その冊子は、父が亡くなる二日前に届きました。
八十二文化財団から刊行された「地域文化」100号記念号です。(2012年4月刊)
“百歳圏からの便り─八度目の干支(辰年)を迎えて─”と題された父の文章が掲載されています。
「3・11」について多くを語ることのなかった父が、その生涯最後のものとなった文章の中で、「3・11」への思いを綴っていました。
静かにその文章と向き合いました。
悲しみも、いたみも、苦しみも、そして怒りも、とうてい自分の身に置き換えることのできないもどかしさの中で、今あらためて“生き方”を探らなければならないと思っています。2019.3.6 荒井 きぬ枝
百歳圏からの便り
かって本誌68号は『信州の出版人』という特集を編んで、その核ともなる「出版文化を想うとき」と題する長い文章を、私に求めて下さったことがある。
かえりみれば、あれは私の米寿を迎えた春のことで、当時の写真なども添えられているのだが、今や私が格別に老けることもなく、八度目の辰年を迎え得たことを物語っている。
とりわけその文章の締めくくりとでもいうべき「現代を生きぬくためのものさし」という要約は、東北地方災害の3・11体験を踏まえて、今や一層痛切にかえりみられるべきではないかと思い、先ずその大意を再録しておきたい。
・・・・その第一が、「回帰の時代」とでも言うべきで、私たちはこの辺で一度立ち止まって、ゆっくりと反省を繰り返す必要に迫られているという判断力の回復の時代であるということ。
その第二が、既に余りにもスピードと便利に馴らされて自動車文明の支配に屈し、地球温暖化の深まりに陥っている全産業が、改めて新しい地球新生のルールに立脚すべき「受容の時代」へと発展するための活力が求められる時代であろうかということ。
そして第三が、このような地球規模の産業革命のためには、惜しみなく文化的・思想的開眼のための人類的エネルギーを組織し得る「漸進の時代」そのものへと開眼すべき時なのであろうということ。
──こんなふうに述べると、余りにもおおぶろしきを拡げたように思われるだろうが、現に、そんな理想主義では間に合わぬほどの大きな構想力を以て対処しなければならない程の3・11という差し迫った「現実」が、私たちの眼前に置かれることとなってしまった。私自身は、既に八度目の干支=九六歳を迎えて、さて、何のお役にも立ち得ない無力感に陥りがちであるはずだが、じっさいには、3・11というすさまじい現実は、私のようなジイサンの胸底にも、それなりのお役目に奮起すべき知的信号を刻みつけないではいられないらしい。(後略)
左 「地域文化」68号“信州の出版人”より
右 「地域文化」100号記念号 より