1980年、『前進座』の若手の俳優さん中心の公演「太陽の子」を読売ホールで、灰谷健次郎さんと父と並んで観た時のことを思い出していました。
先日、新宿の紀伊國屋サザンシアターで上演されたミュージカル「てだのふあ」を観てきました。(『ミュージカルカンパニーイッツフォーリーズ』公演)
灰谷さんも父ももういないけれど・・・・・。 太陽の子(てだのふあ)
──てだは太陽、ふあは子・・・てだのふあはふうちゃんのことなんや。
太陽の子ふうちゃんというわけよ。・・・な、オジやん。(てだのふあ・おきなわ亭にて)『太陽の子』(1978年 理論社刊)巻頭より
脚本・作詞はラサール石井さん。
原作の灰谷さんの文章をとても大事にされていて、ほとんど一言一句違(たが)わずにセリフとして再現されていました。
場面場面にことばが甦ってきます。
ふうちゃんのことば、ロクさんのことば・・・・・。
灰谷さんがなつかしくて、私は何度も泣いてしまいました。
ただ、原作になかった部分が付け加えられていました。
“現在の沖縄です。
40年後のふうちゃん” が登場します。
梶山先生が大好きだったふうちゃんは、大人になって、先生になって、“今”、教え子たちに会うために沖縄を訪れます。
舞台のバックには、現在の基地の様子が写し出されています。
文化座の公演「命(ぬち)どぅ宝」も手掛けられた演出の鵜山仁さんは、このような形で「太陽の子」に沖縄の“今”を重ねられたのだと思います。
『太陽の子』に寄せた父の文章を見つけました。
1986年に書かれた文章には、『太陽の子』に、その時の、“今”が重ねられています。2019.7.17 荒井 きぬ枝
(前略) 《おきなわ亭》に集まる人びとは、誰もが根深い挫折感にさいなまれているのですが、その奥底に生々しく疼いている戦争の傷痕を探り当てようとする勇気を持ちつづけています。それを成しとげることができたのは、この人たちの心を一つに結び合わせている共同体感であり、やさしい思いやりです。
正に沖縄ならではの格別に忘れ難い戦争体験こそが、こういう共同体感を守りぬかせているのだと言えましょう。しかも、こんな苦しみの中から這い上がってこそ、はじめて、今日を生きぬく希望が仄見えるのです。
それにつけても、かつて戦争による傷の疼きは、広く日本のすみずみにまで満ちていたではありませんか。けれども今は、そんな痛みは忘れ去られております。
深い挫折感や苦しみの底から這い上がったというのではなく、いつしか、あっけなく忘れ去られたのです。
───それを「忘れた」というより他はないように、またしても戦争の翳りが人びとの心に宿りはじめたのではないでしょうか。そのさまざまの徴候は、いくらでも数えあげることはできますが、ただひとくちにつづめて言えば、またしても「いのち」の大切さが忘れ去られようとしているのではありませんか。
世界的な核武装から始まって、それに便乗するような軍備の強化、それを正当化するための言論統制などさまざまの戦争政策が、公然とまかり通るようにさえなってきた昨今ですが、そういう時代の翳りをいちばんきびしく受けるのが、子どもの世界でしょう。受験戦争・交通戦争といった重圧が、容赦もなく子どもの世界から「遊び」を奪い去り、「やさしさ」や「思いやり」を挫折させ、ついには、私たちが「子どもから学ぶ」と呼ぶ最高の平和原理さえもふみにじろうとする有様です。 (後略)(わが「いのち丸」の船出によせて−文庫版『太陽の子』より)

「ミュージカルてだのふあ」のパンフレットーイラスト平澤一平