2020/4/1
「要請」、「自粛」、「不要不急」・・・・・、
私たちに向けられるあやふやな言葉にとまどっています。
ではどう行動したらいいのか・・・・・、不安の中で思いをめぐらせています。
“緊急事態宣言”を待ち望む人が多くなってきた今、この権限をこの国の首相に持たせることに対する危惧を語っていらした松元ヒロさんの記事を読み返しています。(3月20日付朝日新聞 “耕論”)
4月3日のヒロさんのライブ(紀伊國屋ホール)へ行くことを楽しみにしていたのですが、今回上京は叶いません。
「今のところ演る方向で準備しています。消毒や換気等、対策を行っています。勿論キャンセルもOKです」ヒロさんはそうツイートされています。
私はキャンセルはしません。空席になってしまう私の席に、私の心だけは置いておきたいと思っています。
そして「うの花忌」です。
灰谷さんの、永さんの、そして父の思いを伝えたいと願って続けてきた「うの花忌」を、今年はどのように実現させたらいいのか・・・・・。
毎年集まってくださる方々にどのようなお知らせを届けることができるのか・・・・・。
“集まる”という権利がおびやかされることがないように、そう願いながら、父が『悠吾よ!』(2006年刊)の最後に記したおわかれの言葉を読んでいます。
「さあ、ここへ集まって」───、父の声が聞こえてきます。2020.4.1 荒井 きぬ枝
チャン(注)が《エディターズ・ミュージアム》などという小さな空間を遺したのは、明らかに、そうしたダンディズムに他なりません。かの快男子岡倉天心が『茶の本』で語っているように、「こういう時には、さあ、ここへ集まって、熱い茶でもすすろうではないか」というほどの思い、そんな思いを、かの夏目漱石が最も愛した。古くは、幸徳秋水が愛した。やがて、大杉栄が愛した。金子光晴だって中野重治だって、北原白秋だって山本鼎だって───そこでは、みんなともだちだった。そして、少しばかり「国家」というものが好きではなかった。
ならば「放っておいて下され」と申し上げたいのが本音だったのでしょうか。
そんな本音の内がわで、自分の好きなことにずいぶん熱中していたようです。
とてもたくさん本を読み、本を書き著し、詩や手紙を、どっさり書いております。漱石の如きは、あれが五十歳で世を去った人の仕事か、と、びっくりするほどたくさんの良い仕事を遺しているではありませんか。
なるほど、良い仕事をするためには、そんなに長生きを欲張るには及びません。生きている限り、青春であれ!そうすれば、仕事はたっぷりと出来るのでしょう。
考えてみれば、あの人たちは年月の経つのにつれて、輝きを増しているではありませんか。そしていつしか、「歴史」という彼岸では、そんな魅力に富んだ人たちが、眼もくらむほど賑やかに多数派を形成して、差し招いているのです。
もともと現世の、あの人も、この人も、テレビのチャンネルを切るかのように、あっさりと消え去り、二度と再び私たちの炉辺に戻ってくることはありません。
地味豊かに、私たちの炉辺に戻って、春の野辺で手鞠でもついて遊ぶように楽しいのは、かの良寛のような日本人でしょうか。
「天上大風」と言う四文字ならば、半日眺めていても倦きません。そんな日本人がいました。そんな日本人が、いっぱいいるんです・・・・・・全世界に向かって、そう言って胸を張ることのできる時代を、悠吾たちならば、迎えることができるでしょう。
そう祈って、長い手紙を、終わりましょうか。本をたくさん読んで下さい。私のミュージアムは、そんな空間なのです。 (注:孫たち、ひ孫たちは父を“チャン”と呼んでいました。)
投稿者: エディターズミュージアム
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