2011年7月12日付の信濃毎日新聞の記事です。 テレビドラマ「北の国から」などで知られる脚本家倉本聰さんが脚本・演出を手がけた「歸國」(実行委員会、信濃毎日新聞社主催)の上田公演が、10日、上田市民会館であった。「富良野GROUP(グループ)」が演じる県内では唯一の公演で、約900人が来場。倉本さんも舞台を見守った。 実行委員のひとりとして、その舞台にかかわらせていただいた時のことを思い返しています。
舞台裏の仕事も体験させていただきました。
たくさんの人の情熱と努力が重ねられて、ひとつの公演がなされていくさまを、ある感動をもって見ることができました。
倉本聰さんの最新の舞台「屋根2020」の東京公演が中止になりました。
倉本さんの無念さが私の胸につきささります。
かかわっていた人々の情熱と努力が断ち切られてしまったのです。
そして今、同じ状況に追い込まれてしまった人々がどれほど多くいることか・・・・・。
「要望」や「おねがい」を受けて、自主的に中止を決断した場合の補償は・・・・・?
ミニシアターを経営している女性がテレビで語っていました。
「父の代から一日も休まず続けてきました。けれどもう覚悟しました。
閉館します。」───と。
「♯ Save The Cinema ミニシアターを救え!」プロジェクトが始まり、政府へ緊急支援を求める要望書が公表されました。
「支援しないと文化は滅びる」と語っているのは、呼びかけ人の映画監督森達也さんです。 (前略)
そもそも存亡の危機にあったミニシアター。「映画が好き」という思いで、自らの生活を犠牲にするような人々に支えられてきた産業なだけに、いったんリセットされたら復活できないだろうという危機感がある。
(中略)
小劇場やシアターが絶えることは、ひとつの文化が終焉することを意味する。(以上 4月8日付 しんぶん赤旗)
『映画(シネマ)は私の大学でした』 は父の最後のエッセイ集でした。
「大学は本来、生涯を形作る基礎的な勉強をする場。それが今は程遠く、就職予備校となっている。ゴーリキーが描いた『知りたいことを自分で学ぶ素晴らしさ』を若者に知ってほしい」 “心の糧(かて)”となるもの、それが、その人にとっての大学なのだと父は語っています。
映画も芝居も、そして音楽も、そうだ美術だって・・・・・。
「文化」は多くの人々にとっての“心の糧”です。
いのちが最優先という状況の中で、ともすれば言葉を失ってしまうのですが、それぞれの人にとっての「私の大学」の灯を消してはならないと思っています。2020.4.8 荒井 きぬ枝

2011年7月10日 『歸國』実行委員の方々と打ち上げ。
翌日の新聞には私のコメントが・・・・・。
「公演を開いてくれてありがとう、と来場者に手を握られた
のが忘れられない。舞台の内容も素晴らしかった」