2020/7/15
会いたい人に会えない───、
行きたい所へ行けない───、
観たいものが観られない───、
心の中にたくさんの願いごとをかかえながら、ふと思い出したのは、茨木のり子さんの一編の詩でした。
父の蔵書だったのか、母が大切にしていた詩集だったのか、今は私の本棚にある『茨木のり子詩集』(現代詩文庫、1969年 思潮社)を開くと、その詩のページには変色した紙がはさまれていました。 もっと強く
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは明石の鯛がたべたいと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは幾種類ものジャムが
いつも食卓にあるようにと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射すあかるい台所が
ほしいと
すりきれた靴はあっさりとすて
キュッと鳴る新しい靴の感触を
もっとしばしば味わいたいと
秋 旅に出たひとがあれば
ウインクで送ってやればいいのだ
なぜだろう
萎縮することが生活なのだと
おもいこんでしまった村と町
家々のひさしは上目づかいのまぶた
おーい 小さな時計屋さん
猫背をのばし あなたは叫んでいいのだ
今年もついに土用の鰻と会わなかったと
おーい 小さな釣道具屋さん
あなたは叫んでいいのだ
俺はまだ伊勢の海もみていないと
女がほしければ奪うのもいいのだ
男がほしければ奪うのもいいのだ
ああ わたしたちが
もっともっと貪婪(どんらん)にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ
「私が一番きれいだった時」の最後の三行と同じように、この詩の最後の三行にも詩人の“決断”が綴られています。
その“決断”が私の心の中に大きなかたまりとなって残っていて、今というこの時に思わずも甦ってきたのです。
父の“願い”がこのミュージアムにある遺影の前にずっと置かれています。
母に託してあった一枚の原稿用紙。
74歳の父が記した『遺言』です。 お願いしますヨ!(遺言)
梅原龍三郎先生流の美学に倣って
葬式無用、弔問供物固辞すること。
生者は死者によって煩わさるべからず。
不滅の病で死期が迫ったら、延命措置は、
固くおことわり。
苦痛をやわらげる処置は大いによろしい。
麻薬の使用などで死期早まってもよい。
とくに75歳以後の脳梗塞などは、無理に
再起させる必要は無い。
日記は、ただ、うき枝だけのもので、
公開無用。なるべく早く焼却のこと。 74歳の誕生日に 小宮山量平 印
『遺言』を記してから二十一年後、95歳で逝った父。
願ったような死を迎えるために、さらに誠実に生き抜いた父でした。
“願い”は他人に依存することではなく、自身を律するための“決断”なのだと、茨木さんが、父が私に示してくれています。
茨木さんの詩にもどります。
“明石の鯛”───。
明石に住んでいる画家の坪谷令子さん。
会いたいな・・・・・。
そして“土用の鰻”───。
来週、7月21日は土用の丑の日です。
みなさーん、“土用の鰻”を願ってくださ──い!2020.7.15 荒井 きぬ枝
投稿者: エディターズミュージアム
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