2020/11/11
11月5日、私の誕生日です。
私が生まれた日の父の日記が『愛になやみ死をおそれるもの』(共著 1950年理論社刊)に収められています。
1947年、父は上京し、『理論社』をおこしました。
「季刊理論」創刊号を4月に刊行。
その年の11月に私が生まれたのです。
理論社と私、同い年です。
生まれた知らせを受けて、上田駅に降り立った父。
31歳の父です。 1947.11.5
とうとうお前は生まれてきた。旅から帰りついた私を駅頭でまちかまえていた手伝いのおばさんが、ささやくように「女の子だったヨ。」という。お前の父の失望をやわらげようとする、思いやりのこもったことばだ。結構、結構。ぶじで生まれてくれたお前に、何の失望があろう。祝福、祝福!男の子の方が女の子よりも望まれる・・・・・そんな時代の去るときに、お前の人間らしい眼ざめは行われるだろう。お前の時代だけを、お前はうけとればよいのだ。
お前の生命の出発に際して、私が送ることばは、平凡なただひと言。誠実!ということだ。そして、この瞬間に、私は自分を戒めることも忘れてはなるまい。たとい愛情からであれ、私はお前に対する私のエゴイズムを控えよう。もはやお前は、お前の環境をもち、そしてそれは父のものではない。お前を私のエゴイズムでふみつけないような立派な愛情、お前の時代の方が私の時代よりもきっと良いものであろうという信条・・・・・・こういう愛と祈りが、私とお前の結びつきでありますように! 出生十五時三七分、体重八五0匁。生まれるとすぐ眼をひらいた。きれいな体。あらゆるものを祈ってあげたいような、祝福、祝福! そして、ちょうど73年前のきょうの日記です。 1947.11.11
お前のお七夜ということで、芦田村のおばさん、望月のおばさん、それに近所のひと達・・・・・。何十人のお客さまだ。お前をだいて、仏前・神前におじぎ。そうしながら、私はふっと涙ぐむ。ひとりの人間が生長する過程には、こんな素朴な祝福が、やはり何度となく積み重ねられているのだ。私たちは、ひとりの人間を、そういう祝福の累積として見ることを忘れがちだ。人のいのちが大切だ・・・・・ということの内容は、ひとりの人間の中にも、じつにたくさんのひとびとの祝福がつみ重ねられているからだ、ということになるかも知れない。
お前によって、今更のように、私はいのちの尊さと温かさを教えられる。 『愛になやみ死をおそれるもの』──私はお前をえた─の原文である父の“日記”そのものが遺されています。 子供たちを良い時代に生かしてやりたいと思う。 10月14日、私の誕生を待つ父はそう記しています。
そして、その年の大みそかには───、 1947.12.31
今日は、お前えをだいて、ふるい信州のしきたり通りに、おとしとりというのをやった。
お前の分もごちそうを作って、それをお前の母さんがたべたのだ。
今、ことし一年を顧みて、お前を得たことを、やはりことしの一ばん大きな事として考えているところだ。それは、小市民的な満足感のみではない。お前の顔を見ているときのような心、お前を抱いているときのような心、そしてお前のための未来を考えるときの心、それこそが正しく巾のある社会的情熱として、私を高めるものだからだ。
(中略)
笑っておくれ!
世界中の苦しみや悲しみが
父の心のこの一点に集中して、
父の心がいたむときに
笑っておくれ!
父の元気な足どりが立かえるように
笑っておくれ! 娘に話かけるようなかたちで、世界中の苦しみや悲しみに対する痛みを語っていた父。
「おかあちゃん、ちっともいい世の中にならなかったね」───。
父の最期のことばが、いっそう胸にせまってきます。
分断とか、差別とか、中傷とか、にくしみとか・・・・・。
なぜこのような世の中になってしまったのか・・・・・。
父が生まれたばかりの私に送ってくれた“誠実!”というひと言。
どうか心のまん中に“誠実”をおいてください。
人と人とが誠実に向き合える世の中であってほしい──そう願わずにはいられません。
きょうで250回目を書かせていただきました。
父が遺してくれたたくさんのことばが、私を励ましてくれました。
そして読んでくださっている方々に励まされています。 2020.11.11 荒井 きぬ枝
投稿者: エディターズミュージアム
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