2021/1/13
『悠吾よ!明日のふるさと人へ』は「週刊上田」紙に連載したエッセイに新たな書き下ろしを加えて、2006年3月に刊行されました。
エッセイの中で悠吾は、一歳半から三歳へと成長しています。
悠吾が三歳になった年のお正月、父はある決心を記していました。 (前略)
この数年その年の「読書事始め」には思い切りよく念願の大長編小説に着手することとしているのです。今年の雪の正月が私をふるい立たせたのは、かのトルストイ翁の『戦争と平和』との格闘でありました。むろん二十代の半ばに軍隊に招集される前夜にも挑戦し、戦後にはソ連製の映画も観たりして、すっかり「読んだ」ような気になっていたものです。
けれども、米寿のハードルをクリアさせていただいたこのトシになって、改めてこの大作に挑戦せずにいられなくなったについては、久しぶりの「雪の正月」とのめぐり合いも機縁となったと言えましょう。加えてイラク戦争の泥沼化の行くえへの緊張感です。更に加えて新潟県中越地震、そしてスマトラ沖地震津波・・・・・・よくもまあ!と、名状しがたい終末感に襲われかねないほどの試練に次ぐ試練の重なりではありませんか! (後略) コロナ禍という“試練”の中で、私たちは今立ちすくんでいます。
この国がかかえてきたさまざまな問題があぶり出されています。
貧困、格差、差別、切り捨てられていく人々・・・・・・。
それでもみんな精一杯“試練”と向き合っています。
だから「まず自助を」などと言わないでください。
父の文章が続きます。
十五年も前に父はこんなふうに記していたのです。
その文章が私に課題をつきつけてくるのです。2021.1.13 荒井 きぬ枝
この正月に雪に恵まれた私が、老骨をかえりみず凛とした気分で『戦争と平和』のような大作品に挑戦するに至ったのには、もう一つ理由があったのです。考えて見れば二十世紀の終わりにバブル経済の崩壊を迎えたころから、もはや十年以上に亘って何とも言いようもない「不況時代」に沈んでいるのです。
その不景気を口実として、リストラ旋風が吹き荒れました。せっかく戦後の経済成長に支えられて守られて来たかのような「民主主義」とか「基本的人権」とかいう働く人たちの誇りが、あっという間に崩れ去りました。
気がついてみると、何年にも亘って給与は凍結したまま。どこの家でも、共働きが当たり前。子どもの学費もアルバイトイで稼ぐ。せっかく卒業しても、正規の労働にはありつけず。ニートだの契約社員だのが待ち受けるだけ。──明るく将来に希望をもって安定した職場に着地できる入り口はすっかり狭い門となってしまいました。
明治以来の日本資本主義の発展の歴史で、今ほど労働が不安定となり、貶められている時代はありません。しかも、あれほど威勢のよかった労働組合の組織としての力は弱まるばかりで、あらゆる分野でリストラの脅威は強まっているのではないでしょうか。
何とまあ、日本の戦後民主主義とは弱いものよ、と、しみじみと溜息がでるほどです。
こんな逆風が吹きまくるかぎり、日本の庶民生活には活力はよみがえらず、表通りの商店街に活気のよみがえる日はないでしょう。・・・・・・そんな沈滞ぶりを眺めていると、しみじみと今の日本が、何やら根本的な誤りを犯したままに、第二の敗戦とでもいうべき深淵へとのめり込んではいないだろうか、と、心配になるのです。
──そんな屈託を叱りつけるような雪の正月でした。そろそろ本気になれと、自分を叱るような新雪でした。
投稿者: エディターズミュージアム
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