ミュージアムの壁に展示されている「つづり方兄妹」、野上房雄くんの詩、“お正月”。
今年のお正月は、特別な思いを込めてその詩と向き合っています。
『つづり方兄妹』が刊行されたのは1958年。
同年映画化もされました。
私は小学校5年生だったと思います。
先生に引率されて、上田の町の映画館に行ったことをよく覚えています。
映画の中の野上房雄くん、“ふうちゃん”のけなげさが心に残っています。
昭和22年「季刊理論」創刊号に掲載しようとした父の一遍の小説は、GHQの検閲によってあえなく削除となりました。
そして次の検閲───。
映画化された『壁あつき部屋』(BC級戦犯の手記 1953年理論社刊)の上映禁止。
そのような状況の中で、父は『つづり方兄妹』とめぐりあったのです。 私が深い挫折感にとらわれたのはその時だ。もはや花見酒に酔う大人たちとは決別しよう。甲論乙駁のままに分裂体質を深めている知的世界ともサヨナラだ。
二十年かかるか、三十年かかるか、やがて真の「敗戦」が訪れる日に具え、自立的な精神で身を固めた新しい世代の出現を期待しよう。それこそが出版ジャーナリスムの密かな使命ではないだろうか・・・・・・そのためには、今は幼い明日の世代に期待しよう。子どものための本づくりこそ、もともと私の念願だったではないか!
全く本好きな子どもであったころからの生い立ちの一歩一歩が、懐かしい走馬灯のように甦り、私は、われとわが身を励ました。そんな私の手にまるで天からの贈り物のように、すばらしい原稿がもたらされた。
大阪の外れ、枚方市の香里という原っぱの多い辺りの香里小学校に、松原春海という綴方教育に秀でた女教師がいた。彼女の指導した子どもたちの中でも、野上丹治・洋子・房雄という兄妹はとりわけ作文好きで、そのいずれもが各新聞や雑誌の投稿で選ばれる。
それも大抵は一等であり、メダルや賞品を受けることが多い。その三人の作文を一冊に編集し、『つづり方兄妹』と名づけて出版した。すでに『山びこ学校』や『山芋』が評判となっていたが、この都会の貧しい一家から生まれた一冊はいかにも戦後の貧しい生活を反映して独特の反響を呼び、忽ち映画化された。
中でも末弟の房雄の詩は健気な強さを帯びていた。
・・・・・・たこもないけど たこはいらん
こまもないけど こまはいらん
ようかんもないけど ようかんはいらん・・・・・・
「お正月」をこう謳い上げた房雄は三年生になった六月には他界してしまった。
やがて訪れたモノのはんらんの前夜に、遺言のように刻まれたこの楽天的な詩が、私の背をどやしつけたようだ!(『昭和時代落穂拾い』1994年 週刊上田新聞社刊より)
“お正月”というふうちゃんの詩の全文です。 お 正 月 野上 房雄 お正月には
むこうのおみせのまえへ
キャラメルのからばこ
ひろいにいく
香里の町へ
えいがのかんばん見に行く
うらの山へうさぎの
わなかけに行く
たこもないけど たこはいらん
こまもないけど こまはいらん
ようかんもないけど ようかんはいらん
大きなうさぎがかかるし
キャラメルのくじびきがあたるし
くらま天ぐの絵がかけるようになるし
てんらんかいに 一とうとれるし
ぼく
うれしいことばっかしや
ほんまに
よい正月がきよる
ぼくは らいねんがすきや 自粛を余儀なくされている毎日が続いています。
会えない、行けない、そしてやってはいけないことばかり。
でも、できないことばかりを考えていてはいけないんだよね。
私はふうちゃんに語りかけます。
「そうだ、ふうちゃん、できることはなんだろうって考えてみる!。」
かつて父を励ました詩が、60年以上もの時を越えて今、私を励ましてくれているのです。2021.1.20 荒井 きぬ枝

“ふうちゃん”こと野上房雄くん