2021/2/17
『すべての怒りは水のごとくに』(灰谷健次郎著 1997年倫書房刊)の文章をこのブログに引用させていただいたのがきっかけでした。
シャンソン歌手の寺井一通さんが、灰谷さんの詩を歌われているという一文。
文章が新聞に連載されていた時、絵を添えられていた坪谷令子さんがそのことを寺井さんに伝えてくださったのです。
ブログを読んでくださった寺井さんからCDをいただきました。
その上、先週また二枚のCDを・・・・・・。 この年齢になって新しいつながりが出来るのは何とも嬉しいものです。 お手紙にそう記されていました。
灰谷さん、令子さん、そして寺井さん、人と会うことが叶いにくくなっている今、ほんとうに“つながり”が嬉しいですね。
今回送っていただいたCDの一枚、「寺井一通シャンソンを詩う」。
父もシャンソンが好きでした。
私も大好きなシャンソン、なんとも心揺さぶられるアルバムです。
アズナブールの日本でのラストコンサート、“ラ・ボエーム”を歌った時の、彼が手にしていた白いハンカチなんかを思い浮かべてしまいました。
そしてもう一枚のアルバムです。
被爆者歌う会「ひまわり」制作の「わたしがいた夏」。 もう二度と 詞・曲/寺井一通 一、 聞こえていますか 被爆者の声が あなたの耳に 聞こえていますか もう二度と作らないで わたしたち被爆者を あの青い空さえ 悲しみの色 二、 覚えていますか ヒロシマ・ナガサキ いのちも愛も 燃え尽きたことを もう二度と作らないで わたしたち被爆者を あの忌まわしい日を 繰り返さないで
三、 聞こえていますか 世界の国から 平和を願う 声がするでしょう もう二度と作らないで わたしたち被爆者を この広い世界の人々の中に 聞きながら、私の心の中にくすぶり続けていた怒りとも悲しみともつかないある思いがこみ上げてきました。
1月22日に発効された「核兵器禁止条約」。
唯一の被爆国である日本がその条約に背を向けているのです。
被爆者の悲しみに背を向けているのです。
“橋渡し役”ですって?
「核の傘」を理由にそんな言い訳をしているのですね。
「核の傘の下」ということばが父の文章の中にありました。 (『悠吾よ!明日のふるさと人へ』2006年こぶし書房刊) 首相はさっそく電話して、ファーストネームで呼び合うと確認したんだそうですね。
大統領が交代しても、アメリカという国との向き合い方は変わらないだろう──。
十五年も前に父はそんなことを示唆しているのです。2021.2.17 荒井 きぬ枝
晩年に近く七十歳代を越えてからでしょうか。ずいぶんマメに、スピーチ行脚と称してはあちらこちらへと旅するようになりました。
現役の出版人の座からリタイアしたからでもありますが、そのころから眼に見えてグローバリゼーションなどという横文字が目立つようになったのです。
良きにつけ悪しきにつけ「冷たい戦争」の名で、二つの世界の対立がお互いに牽制し合い抑止力となっている時代が過ぎ去った九〇年代からでしょうか。あたかも一人勝ちの座を確保し得たかのように、アメリカという名の“親分さま”の世界支配力が目立ちはじめたのでした。
そのアメリカの「核の傘の下に入る」のが安保時代の得策であり、長いものには巻かれろという知恵でもあるかのように、歴代の指導者が旗を振るのにつれて足並みをそろえるのが、日本の体制の基盤となっていたのでしょうか。
(中略)
既に述べたように、「高度に発展した資本主義の大国が他の発展した資本主義国を植民地化する」というのが、第二次世界大戦後の最も注目すべき新しい実験でありました。
日本とドイツ、二つの敗戦国がこの実験対象となったのですが、さすがにドイツは哲人カントを育み国民的文学者ゲーテを誇る国柄です。
この植民地化へのワナを巧妙にすりぬけ、最近のイラク戦争に至っては堂々と“親分”の誤りを指摘するほどの主体性を示しております。が、そんな主体性の柱とも頼るべき自立的精神の面で遅れをとる日本は、みごとに“親分”の言いなりになるばかりの買弁的(注)な人物の支配する国と成り下がったようです。(注)植民地・半植民地において、外国帝国主義の利益に奉仕する立場・行動・態度をいう。(出典=広辞苑より)
投稿者: エディターズミュージアム
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