2021/5/7
それぞれ『おとうさん』、『おかあさん』と題された二冊の詩集は、1962年に理論社から刊行されました。
『きりん』のこどもたちの詩がぎっしりつまっています。
“母の日”を前に『おかあさん』を読んでいます。 こ え 赤木 一夫 (一年) おかあちゃんが きをつけてねといった ぼくは はいいってきますといった おかあちゃんのこえが ついてきた がっこうまでついてきた パーマネント 安井 光夫 (三年) 三時五ふんに おかあさんが パーマネントに いきました 七時六ぷんに ぴかぴかあたまで かえられました こんばんは どうしてねるのかな。 ほほえましい詩のあとにこんな詩が・・・・・。 母の日 若生 栄司 (六年) いつもせんこう一本 きょうは、五本 せんこうのけむり かあちゃんの 笑顔になった おかあさんを亡くしたこどもの詩──。
岡本学級ののぐちてるおくんの詩が浮かんできました。
そのことを灰谷健次郎さんが『子どもへの恋文』に記されています。
岡本博文先生、『きりん』が休刊に入る少し前、活気を失くしていく教育現場にあって、孤軍奮闘されていた先生のひとりです。 (前略)
岡本学級は、もともと貧しい家庭の子が多かった。
岡本博文は、子どもの現象を、まず問題にするのではなく、子どものうちなる声をきこうとする教師だった。
彼は、のぐちてるおを呼びとめ、いちばんしたいメンコを共に興じた。
毎日、暗くなるまで一週間それをつづけたという。
のぐちてるおは、自分の家庭のことを、話しはじめる。
「おれ、先生すきや」
と、ぽっつりもらす。
(中略)
ようやく心寄せる先生を見つけたのぐちてるおは、級友にも励まされ、文をつづり、絵を描くようになる。
(中略)
母の死という最大の不幸が、てるおを襲う。てるおは、じっと耐える。 かあちゃん そうしきのくるまがくる はこの中で 手をあわせているかあちゃん 目をつむって 白いきものをきてるかあちゃん くるまのなかへはいった かあちゃん くるまのなかくらいやろな 葬式の、あくる日に、てるおは、もう学校に出てきたという。
そして教室に入るなり、堰を切ったように語る。 「・・・・・・・おかあちゃんな、死ぬまえのばんな、おれの詩みたわ(学級詩集「竹の子」二十一号に発表の詩)
二十一号の詩みてな、わろうてたわ。そやけどな、おかあちゃん死んだやろ。おれ、
その詩な、はさみできってな、死んだおかあちゃんの手の中へ詩の紙を入れたわ。
はこの中へおかあちゃん入れたわ。
おかあちゃんの手の中に、その詩がきつうにぎったったわ。
おとうちゃんな、それみて、泣いたで。兄ちゃんもないたわ」 のぐちてるおと向き合って、その言葉を受ける岡本博文の姿、そしてその胸中を思う。若い教師だったわたしは、そんな先生が存在することに胸を熱くしていた。
てるおの孤独を救ったのは、詩を書くことを教えた岡本博文だ、とわたしは思った。
そう思うに足る詩を、てるおはその後も書きつづけた。 しんだおかあちゃん おかあちゃん 「し」のしょうじょうもろたよ ふでばこもろたよ バッジも もろたよ おかあちゃん みんな おぶつだんのところへならべとくよ おかあちゃん これ さわってみてね ところが岡本博文はいう。
「ぼくは、詩の指導などしていません。子どもといっしょに生活しているだけです」
わたしが彼に会ったとき、彼はわたしにいった。
「ただ、子どもに惚れているだけですよ」
私は唸った。
そして思った。
すごい教師がいて、わたしは、そんな教師に助けられ、励まされているのだな・・・・・。
(後略) きょう5月7日付の信濃毎日新聞の記事です。
鎌田慧さんがシリーズでかかれている「忘れ得ぬ言葉」。 「教育を変える力は、教師にあるってことを自覚してほしいんやけど
灰谷健次郎(児童文学作家)」 今、孤軍奮闘してくださる先生の存在を願わずにはいられません。どうか子どもたちと真っ正面から向き合ってください。
それにしても───です。
五輪ありきで、子どもたちの貧困には目をそらし、コロナ禍の中の子どもたちのとまどいや、悲しみにも目をそらしている人たちが、突然言い出した「子ども庁」。
「何やそれ」 灰谷さんの声が聞こえます。2021.5.7 荒井 きぬ枝
投稿者: エディターズミュージアム
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