2021/5/19
我が家の庭の“卯の花(うつぎ)”。
まず4月には姫うつぎ、こぼれるように小さな白い花が咲きます。
次ぎに大きな木に育った梅花うつぎ。満開になるのは5月半ば。
今年は開花が早くて、散り始めています。
次ぎに八重の梅花うつぎ。ただいま開花の順番待ちです。
永六輔さんがお元気でいらした頃、4月に入ると私は毎年手紙を差し上げていました。
「庭の“卯の花”のつぼみがふくらんできました。今年もお待ちしております」・・・・・と。
“卯の花忌”にしよう、と言ったのは父でした。
2006年11月に亡くなられた灰谷健次郎さん。
偲ぶ会などはしないで・・・と言い遺されていました。
「私の誕生日に集まってくれる人たちと、灰谷さんのことを語るならば、灰谷さんはきっと許してくれるはず」、父はそう言って、自身が生まれた5月に咲く「卯の花」と『兎の眼』とをかけて“卯の花忌”と名付けたのでした。
その“卯の花忌”の第一回目(2008年)から参加して下さったのが永六輔さんです。
その時の模様を「週刊上田」が誌面で次のように伝えています。 (前略)
この日のゲストで灰谷さんが信頼を寄せていた永六輔さんは「灰谷さんはほら、ここにいますよ」と話し出し、「よくいっしょに講演をしたが、ぼくがどんなに会場を沸かせても、最後に彼が子どもの詩を朗読するとみんなもっていかれちゃう。ずるい!」とおどけ、灰谷さんが生前録音した子どもの詩の朗読を披露。ともに楽しんでこそ供養とばかり、軽妙な話術で会場を笑いの渦に包みました。 (2008年5月) 2009年第二回目の“卯の花忌”。
私は以下のようなお知らせのハガキを作りました。「卯(兎)の花忌」そして小宮山量平93歳のお祝い
お客さま 永 六輔 さん 毎年父の誕生日を楽しみにしてくださっていた灰谷さん。
その5月がまためぐってきました。
「93歳、元気ですよ。」──心の中で私は灰谷さんにそう伝えます。
2回目の「卯の花忌」。
日本の“今”をごらんになって、灰谷さんがいらしたら何を思い、何を語られるのか・・・・、
そのことをしきりに考えています。エディターズミュジアム代表 荒井 きぬ枝
2012年に父が他界。
その後の“うの花忌”を永さんが支えてくださいました。
「語ってくれる人がいるかぎり、その人は生きている」
そうおっしゃって、灰谷さんのこと、父のことを語り続けてくださいました。
永さんが最後にお見えくださったのは、2015年の“うの花忌”でした。
車イスで、少しおつらそうでしたけれど、声をふりしぼるようにして憲法九条の大切さを訴えられました。
そして、九十九条の大切さも・・・・・。
「この条文は、国会議員や公務員は憲法を守らなければならないという立憲主義の原則をうたったもの」──と。
ひるがえって、憲法記念日のことしの5月3日。
改憲派のウェブ会合での国会議員の発言。
「コロナのピンチをチャンスに」・・・・・・・ですって?
どれだけ多くの方が亡くなられたか、どれだけ多くの人々が今苦しみの中にいるか、それをひとくくりに、“ピンチ”という無神経さ。
そしてこの機に乗じて改憲できるんじゃないかという信じられない発想。
怒りを通り越すというのはこのことでしょうか。
美しく咲いた卯の花に、“うの花忌”への思いがつのります。
来年こそ“うの花忌”で、灰谷さんを、永さんを、そして父を語りたいと思っています。
2021.5.19 荒井 きぬ枝
(*父が亡くなった後の“卯の花忌”は、“うの花忌” と改称しました)
投稿者: エディターズミュージアム
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