2022/4/13
4月13日、きょう、父の命日です。
10年前のあの日、満開だった庭の白木蓮が、今年は二週間ほど早く咲いて、今みずみずしい緑の葉をつけはじめています。
うの花のつぼみもふくらんできました。
花も葉も甦る季節です。
けれど・・・・・、
たとえこの「戦争」が終わったとしても、失われたいのちは決して甦ることはありません。
「戦争」を伝える映像を見るのがつらくて、私はテレビを消してしまいます。
その私の前に小学生の“ふうちゃん”が立っています。
『太陽の子』(1978年理論社刊)で灰谷健次郎さんが描いた小学生の女の子です。
作品の中の忘れられない場面が私に迫ってくるのです。
ギッチョンチョン(集団就職で沖縄から来た二十一歳の青年)が、本だなから一冊の本を取り出してふうちゃんに見せようとします。 「みんな、もぐらみたいに殺されたんや。沖縄の住民四十五万人のうち十六万人も死んでしもたんや。こんな戦争、世界中どこにもなかったわい」
そして───、 (前略)
ふうちゃんの大きな目がいっそう大きくひらかれ、そして停止した。
──それはむごい写真だった。
女・子どもが、重なりあって死んでいた。ある女はからだをくの字にまげ、ある女は天を仰ぐようにして死んでいた。あぐらをかいていたのが、ちょっとくずれたというふうなかっこうの体もあった。子どもは母親の腕に抱かれていたり、あるいはゴムマリのように放り出されてあったりした。子どもだけ見れば、まるで昼寝でもしているようだった。いちめん血の溜りだった。目や鼻から一筋二筋、血の流れている凄惨な死体があり、死体と死体のあいだに、胸だけころがっていたり、足だけ横たわっていたりした。
上下の識別のつかない胴体だけではないかと思われる死体も数体あった。
いちめんに飛び散った血しぶきは、それぞれの着衣に点々とつき、それは夏の虫がたかっているようだった。
「手榴弾で自決したんや。のどを突いたり、腹切って死んだ人もある」
ほんまになんで死ななあかんねんや・・・・・と、ギッチョンチョンはほとんどききとれないくらいの小さな声でいった。
肩をふるわせていたと思ったら、とつぜんふうちゃんが吐いた。
あっとギッチョンチョンはあわてて、もう見るな、すまんすまんと、おろおろして、ふうちゃんの背をなでた。
ギッチョンチョンは、あきらかに自分がまちがったことをしたと感じた。はじめて、自分の中にある押しつけがましさに、はげしく後悔したのだった。
ギッチョンチョンはあわてて、ふうちゃんの前においてある本や雑誌をかたづけはじめた。そのとき、
「あかん!」
と、ふうちゃんはつよい調子でいった。
「見る。ちゃんと見る」
汗とも涙ともつかないものが、ふうちゃんの顔をぬらしていた。
「もうええ。もうええがな」
ギッチョンチョンは泣き出しそうな声でいった。、
「ちゃんと見るワ。吐いたりしてごめん」
ふうちゃんはハンカチとティッシュペーパーで後始末をして、落ち着いた態度で洗面所に立っていった。蛇口をひねって勢いよく水を出し、それからざぶざぶ顔を洗った。(後略) 灰谷さんの最後のエッセイ集となった『子どもへの恋文』(2004年大月書店刊)の最終章は「殺戮と子ども」と題されています。
イラク戦争とそれを支持した日本の政治家への怒りを込めて書かれた文章には、同時に二度とこの題名のようなことが起きないようにという灰谷さんの祈りが込められています。
大切なことが記されています。 (前略)
人類の歴史は、戦争の歴史ともいえる。くり返してはならないことを、くり返している。現実を直視することだ。これを断ち切るためには、老若男女、子どももふくめ一人ひとりが、かつての戦争を知り、その原因を考え、平和に向かって、ささやかであろうと行動を起こすこと以外に道はない。
私の住む沖縄・渡嘉敷島は、沖縄戦の悲劇集団自決(生きて虜囚の辱めを受けず、という誤った教育による集団虐殺だ。本来、自決という言葉は使うべきではないだろう)が起こった島である。
今、島の人はこの悲劇にふれることはほとんどないが、島の子どもたちは、これに目をそらすことなく、しっかり学習している。
『わたしたちの渡嘉敷島』という副読本があり、六年生になるとこれを使って、島の歴史、文化、産業などを学ぶ。
(中略)
子どもたちは、この事実を学びながら涙をこぼしたことだろう。
戦争から半世紀有余、今なお、こんなつらいべんきょうをしている子どもが日本にいることを、何人にも知ってもらいたい。 過去の戦争の悲惨さと向き合おうとしている沖縄の子どもたちと“ふうちゃん”が重なります。
今起きている「戦争」。
あふれる映像を子どもたちはどう受けとめているのか。
朝ごはんを食べながら、あるいは夕ごはんを食べながら、子どもたちは「戦争」を見ているのです。
悲惨な映像と音声が子どもたちの目や耳に焼き付けられつつあります。
心を傷つけられている子どもたちがたくさんいると思います。
かたわらに居て、大人はどう寄り添ったらいいのか・・・・・。
悲惨さを知ることが心からの平和への願いにつながるように、大人は子どもたちにそのことを語りかけて欲しいと思っています。
『子どもへの恋文』の終わりに、灰谷さんは子どもたちが書いたいくつかの“反戦詩”を載せています。
最後の詩の最後の二行。
その二行を心に焼き付けて、このエッセイ集は終わっています。
2022.4.13 荒井 きぬ枝
戦 争 泉 たか子 五年 夜、父の戦争中の話を聞いた。
朝鮮の人の畑へいって
えだまめをとってきてたべたと
いうことがあった。
その時、朝鮮の持主が
「どうぞ それだけはかんべんしてくなせえ」
といったそうだ。
そのようすをそうぞうしてみたら
とてもかわいそうだと思った。
父は笑って話しているが
わたしは もうじき涙がでそうだった。
えだまめをとられた持主は
きっと
にくらしい日本の兵隊と思ったろう。
戦争って
人の頭まで へんにかえてしまうらしい。
投稿者: エディターズミュージアム
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