2022/6/8
明石市在住の画家・坪谷令子さんが「神戸新聞」のコピーを送ってくださいました。
5月15日付の<正平調>。 (朝日新聞の〈天声人語〉に匹敵する欄です) JR兵庫駅裏の四軒長屋で生まれた灰谷健次郎さんは神戸の小学校で17年間教師をした後、「ただのオッサンになります」と宣言して先生を辞めた。長兄の自殺や母の死で生き方に迷いが生じた。
そんな灰谷さんを救ったのが、放浪先の沖縄だった。石垣島のパイン工場で働いていたとき、おばあちゃんたちに言われたという。「自分を責めて生きても、死んだ人は喜ばんさ」。なんと強い言葉か。
島を包む寛容さと明るさはどこから来るのか。おばあちゃんたちはみな沖縄戦で身内を失い、過酷な戦後を生きていた。なのになぜ──。こうした問いから生まれたのが代表作『兎の眼』と『太陽の子』だ。沖縄の本土復帰から間もなく、相次いで刊行された。きょうその復帰から50年。
(中略)
灰谷作品にも、放送中のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」にも、明るさと悲しみが混じり合った泣き笑いの場面がよく出てくる。
強いものは、柔らかくて優しい。 沖縄の本土復帰から50年のこの日に、灰谷健次郎さんを甦らせているこの記事に心を打たれます。
そして5月19日には
“はるかウチナー 復帰50年 沖縄戦を問う” と題した記事が──。 “読み継がれる『太陽の子』” と大きく見出しが付けられています。 1972年、本土復帰にわく沖縄に一人の児童文学作家が流れ着いた。神戸市出身の灰谷健次郎さん。沖縄戦の記憶が生々しく残る悲しみの島で、優しく、強く生きる人々に灰谷さんは出会う。
代表作『太陽の子』が出版されたのはその6年後である。神戸を舞台に、主人公の少女ふうちゃんの目を通して描かれるウチナー(沖縄)。作品は私たちに何を問うているのだろう。(中略) この記事のために坪谷さんは取材を受けられました。 沖縄に移住した灰谷さんを訪ね、島の戦跡を訪ねたことがある。激しい地上戦で、県民の4人に1人が犠牲になった事実。知れば知るほど、『太陽の子』に出てくる人物のせりふが胸にせまった。
例えば、沖縄戦を経験した母親がふうちゃんに語りかける場面。
<生きている人の中に死んだ人もいっしょに生きているから、人間はやさしい気持ちを持つことができるのよ>
恐らくは灰谷さんが沖縄の人たちとじかに触れ、そこに作品のメッセージがある気がした。 記事はこう締めくくられています。 今、米軍普天間飛行場の移転先として名護市辺野古の海は埋め立てが進む。戦争と自然破壊。灰谷さんの望んだ風景ではあるまい。
『太陽の子』でふうちゃんが担任の先生に宛てた手紙がある。
<知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまうような勇気のない人間に、わたしはなりたくありません>
沖縄で何があったのか。今、何が起きているのか。知らないふりをして過ごさないで。それは本土の私たちに向けて発せられた言葉にも聞こえる。
『太陽の子』を読み返しています。
文庫版として刊行された時のものです。
文庫化して、更に読み継がれることを願っている父の“あとがき”がありました。
またしても「いのち」の大切さが忘れ去られようとしている ────。
父のことばが“今”と重なります。
2022.6.8 荒井 きぬ枝
灰谷作品の巨きなテーマ
《おきなわ亭》に集まる人びとは、誰もが根深い挫折感にさいなまれているのですが、その奥底に生々しく疼いている戦争の傷痕を探り当てようとする勇気を持ちつづけています。それを成しとげることができたのは、この人たちの心を一つに結び合わせている共同体感であり、やさしい思いやりです。正に沖縄ならではの格別に忘れ難い戦争体験こそが、こういう共同体感を守りぬかせているのだとも言えましょう。しかも、こんな苦しみの中から這い上がってこそ、はじめて、今日を生きぬく希望が仄見えるのです。
それにつけても、かつて戦争による傷の疼きは、広く日本のすみずみにまで満ち満ちていたではありませんか。けれども今は、そんな痛みは忘れ去られております。深い挫折感や苦しみの底から這い上がったというのではなく、いつしか、あっけなく忘れ去られたのです。
───それを「忘れた」というより他はないように、またしても戦争の翳りが人びとの心に宿りはじめたのではないでしょうか。そのさまざまの特徴は、いくらでも数えあげることはできますが、ただひとくちにつづめて言えば、またしても「いのち」の大切さが忘れ去られようとしているではありませんか。
世界的な核武装から始まって、それに便乗するような軍備の強化、それを正当化するための言論統制などさまざまの戦争政策が、公然とまかり通るようにさえなってきた昨今ですが、そういう時代の翳りをいちばんきびしく受けるのが、子どもたちの世界でしょう。受験戦争・交通戦争といった重圧が、容赦もなく子どもたちの世界から「遊び」を奪い去り、「やさしさ」や「思いやり」を挫折させ、ついには、私たちが「子どもから学ぶ」と呼ぶ最高の平和原理さえもふみにじろうとする有様です。
いつしか灰谷作品は、そんな時勢の矢面に立たされているのでしょうか。もちろん、灰谷さん自身は、ひたすらに「いのち」の大切さを、ただそれだけを呟きつづけているといってもいいのです。けれども、そんな呟きに耳を澄まして聞き入るような読者の輪が、なんと大きくひろがったことでしょう! 私はこの『太陽の子』の文庫版刊行については、単に一冊の普及本が誕生したという出版慣行の在り方を越えて、いま、わが「いのち丸」が船出してゆくのを見送るような思いを禁じ得ないのです。(昭和61年1月 理論社会長)
投稿者: エディターズミュージアム
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