エディターズミュージアムで故灰谷健次郎さん偲び、「卯の花忌」
週間上田 平成22年6月26日 掲載
「灰谷さんは心で話した」 ●報道カメラマン・石川文洋さん講演
上田駅前の「エディターズミュージアム・小宮山量平の編集室」で5日、作家の故灰谷健次郎さんを偲ぶ第3回「卯の花忌」が県内外から約100人の参加者を集めて開かれ、報道カメラマンの石川文洋さん(72歳)が灰谷さんと巡ったアジアの旅をスライドで紹介しながら語りました。
会は、灰谷さんが“お師匠さん”と慕った編集者・作家の小宮山量平さんが5月に94歳を迎えたことを祝いながら、灰谷さんをともに偲ぼうと開いたもの。冒頭で小宮山さんは、高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの」を引きながら、「私たちは“棒の如き貫くもの”を守るために、ここに集まっているのかもしれない」と話し、「石川さんは灰谷さんが人生の最後に一番親しく付き合い、ともに旅をして話をした人」と紹介しました。
石川さんは「灰谷さんと初めて会ったのは、私が朝日新聞のカメラマンだった81年。その後いっしょにアジア各地を回りましたが、いつでも灰谷さんは思いやりにあふれていた」と話し始め、ふたりで旅したアジア9カ国の72枚の写真をスライドで映写。
ガンジス川の沐浴風景、メコン川沿いに立ち並ぶ露天、ベトナム戦争当時に公開銃殺が行われたホーチミン(旧サイゴン)市の路上に立つ灰谷さんが映され、「私の原点は生まれた沖縄と戦場カメラマンとして取材したベトナム戦争ですが、灰谷さんの原点は子どもたちと過ごした教師時代と放浪の果てにたどり着いた沖縄だったと思う」
94年に返還されたフィリピンの米軍基地跡地を訪ねた折りには、「灰谷さんは『沖縄も早くこうなればいいね』と話していました。
またインドやタイ、フィリピンの子どもたちと談笑する灰谷さんを映して、「灰谷さんはどこでも気さくに日本語で話しかける。不思議ですが心で話しているので通じるのです」「旅の感動は人生の財産です。たくさんの人と旅をしましたが、灰谷さんは心の安まる、間違いなく最高の人でした]と話しました。