「地方で働く医師育てる制度を」−上田で囲む会・医療経験語るー
信濃毎日新聞 2010年11月10日 掲載
バングラデシュ出身 WHO医務官バルアさん
バングラデシュ出身の世界保健機関(WHO)医務官、スマナ・バルアさん(55)を囲む会が、上田市天神のエディターズミュージアムでこのほど開かれた。
日本とフィリピンで医療を学んだ体験などを聞こうと、同ミュージアムを運営する編集者の小宮山量平さん(94)=上田市中央=らが企画。バルアさんは「日本は経済的には発展したが、地方で働く医師を育てる制度をつくれていない」と指摘した。
バルアさんは1976(昭和51)年に来日し、県内外で働きながら医学を学んだ。「高額な機器を使う日本の医療を母国で実践するのは困難」と考え、79年にフィリピン大学レイテ校の医学部に入学。医師資格を取った後、母国で医療活動に従事し、2002年からWHOで働いている。
この日は、ハンセン病回復者で作家の伊波敏男さん(67)=上田市保野=と対談。バルアさんは「発見が早ければ、ハンセン病は半年ほどの投薬で治せる。日本は医療技術が進んでいるけれど、この病気についての理解がまだ遅れている」と語った。
小宮山さんも講演。ハンセン病への差別に苦しんで自殺を図った作家の北条民雄(1914〜1937)を紹介した上で、現在の日本について「さまざまな差別が年々ひどくなっている」と指摘した。
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●Sumana Barua(スマナ・バルア)
医師・医学博士。1955年バングラデシュ生まれ。国立ティミトウル短期大学卒業後、76年 来日。79年フィリピン国立大学医学部レイテ校入学。助産師・看護師・医師の資格を取 得。89年にバングラデシュに戻り、地域医療に従事しつつ医科大学で教鞭をとる。
地元NGOの保険医療コーディネーターとしても活動。93年〜東京大学医学部大学院で国 際保健計画学を学び、96年修士号、99年博士号を取得。WHO(世界保健機関)のコンサ ルタント、JicaのPHC研修コースアドバイザー、WHO西太平洋地域事務所(マニラ)医務 官を経て、現在WHO南東アジア地域事務所(ニューデリー)医務官。
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