2006/9/25
講演の後、友人に案内されて、平和公園へ行きました。
「原爆ドームが見たい」という衝動にかられ、「どこか行きたいところある?」の問いにためらうことなく「平和公園」と言っていました。
昔、修学旅行で見たであろうドームでしたが、私にとって「初めての原爆ドーム」の思いだったのです。その姿は、時間が止まったように、8月6日のその時のままでした。砕け落ちたがれきもそのままです。立ち止まり見続けました。柵で囲われているため近くに寄ることは出来ませんでしたが、その様を目に焼き付けるには充分なほど迫ってくるものがありました。
記念碑で祈ってきました。
「ここには亡くなった人の名簿が入っていて、毎年1回全部の名簿を出して虫干しをするんだよ」と話してくれた碑に手を合わせた時、不思議な感情がわいてきました。胸を突き上げるような激しい思いです。と同時に涙が止まらなくなりました。
今でもあの思いが何だったのかはわかりません。でも、はっきりいえることは、
この場に立ったら、誰でも核など持ってはいけないとわかるはず、ということ。
同じ過ちを繰り返してはならない、私たちが平和を守っていかなければならない、核など持ってはいけない、ということです。
今まで疑問に思っていたひとつが、わかりました。
「原爆はなぜ広島だったのか」それは、
軍需工場が住宅地にあったこと、そしてアメリカ軍の捕虜収容所がなかったこと、だそうです。
なんとひどい、なんとむごい、、、
できるだけ多くの人を殺傷したかったのですか。自国の人さえ犠牲にならなければ、それでよかったのですか。子供も老人も女性も、、みんなですか。
人は傷つけあうものかもしれない。
でも人は、かばいあい助け合い、いたわりあうものでもあるのです。
広島の思いを、核をもつ国の人々にもっと知らせなくてはいけないと、痛感しました。
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