【好評連載中】
リラックスの作法
こちらの人のリラックスの技術には感服します。リラックスをする、恋人や夫婦との時間を楽しむということに大変、価値を置いているのです。もちろん、職場や地域、都市と地方によって差はあるでしょうが少なくとも日本人にはない、ゆったり感覚です。とにかくお茶とケーキが大好きな人たちで、何かにつけティーブレイク。休むということに対して、後ろめたい気持ちがあまりなく、「自分の人生」という意識を明確に持っているのもかもしれません。
イギリスは、何かにつけ対応が遅かったり、公共の設備が故障していたり、古かったり、うんざりすることも少なくありません。バスが1時間くらい来ない時などは、運転手が家で寝ているんじゃないかと本気で疑いたくなります。(ロンドンのバスは10分毎くらいのペースで来ます)。いい加減な国だなあとつくづく思い、日本の交通機関、公共施設などがいかにしっかり整備されているかを再認識するのです。しかし、ふと周りを見渡してみると、疲れた顔をしている人をあまり見かけないではありませんか。その代わりに、大きなお腹の人がたくさんいます。そのせいか、おじさんでも笑顔の人が多く、なんとなく幸せそうに見えるのです。
日本人をよく知っている、私の知人は、リラックスをしない日本人はかわいそうだと顔をしかめて哀れんでいました。 始めのうちはその意味が感覚的によくわからなかったのですが、こちらで働いているうちにだんだんとそれを空気で感じてきました。私はせっかちでよく体を動かして働くのですが、それに対してなんとなく居心地の悪さを感じるのであります。そこで気づいたのが、日本では働くことがその質に関わらず無条件にリスペクトされているのだということです。
そして、それが多くは必然的にしなくてはいけない仕事というよりも、社会的、場の空気、極端な言い方をすれば社内や身内へのなんらかのアピール、もしくは「みんなのため」にと言った要素が強いのかもしれません。それが、こちらでは必ずしも通用せず、人に対して無関心なのです。かといって、仕事自体をきっちりしないかというと、そんなことはなく、何かと各人自信を持って、多少強引にでもやり切っているような感じを受けます。
個人主義の国で階級社会の残る国だということを感じます。特に交通機関などや肉体労働者は移民が多く、人種も仕事の質にも個人差があり一くくりにすることはでませんが、働くことが必ずしも善ではないし、みんなのためにとか言った概念があまりないのです。日本は皆が同じように、一生懸命、働いてきた国なのだなと感じます。イギリス人の間では、これまた極端な言い方をすると、リラックスすることに対しての義務感さえ感じます。ちなみにフランスはもっとのんびりしていると、フランス人の友人が言っていました。
私の祖母は、本当によく働く人でした。兵庫県の丹波で一生を過ごした人で、世間体を意識する普通の田舎の人でした。そして、遊ぶとか大声で笑うなどということに対して、まるで悪いことのような感覚を持っていたように思います。食事中に笑いすぎることとにも注意を受けたりもしました。私は祖母を尊敬する反面、もっと自由にのんびりしても誰も何も言わないし、自分のために贅沢してもいいのになあ、と思ったりもしました。
これがいいか、悪いかではなく、外国人から見て日本人というのは、私が祖母に対して受けた印象に近いのかなあと思うのであります。もちろん「幸せ」と「リラックス」はイコールではないし幸せというのは極めて個人の捉え方によるもので、決して外から判断できるものでもないのでしょう。しかし、自分の今行っている「仕事」の本質を一度疑ってみることも案外大切かもしれません。
次回予告
■個人商店・レストランがチェーンストアに勝てないわけ。
〜名文に発言者名がつく理由〜
■チェーンストアが個人商店・レストランに勝てないわけ。
〜友達に言われた何気ない一言〜
みなさんも少し考えて見てください。私なりの視点で考えてみますが、いろんな角度から見ることができるでしょう

0