Gakugai-Gijuku:Business School for Open Mind Community

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投稿者:N Morimura
自由を感じるのは、外国に住みシステムから外れているからということも要因のひとつであるように思います。 権利と義務が表裏一体なように、開放感と気がつくとやっぱり身内外という感じでしょうか。

「相違」という観点でいうと私は、各国を比較すると「ある」ように思います。
国同士は、将棋とサッカーのように比較する基準点が全く違う。伝統とかルールや得点となる基準が違う。着物やスーツを着て難しい顔をして戦う将棋に比べて、茶髪にピアスで大声をだして戦うサッカーは「開放的」と言うことができるかもしれませんが、言葉の定義次第では逆転する可能があるかもしれません。自分だけの意思で自由に動くことができないサッカーに比べて、自由に判断を下せる将棋はより「開放的」かもしれません。

相違が「ある」が「比較基準がない」というのでしょうか。


ただ、個人の感情、性格、モチベーション、周りの人との関わり方はどこにいても(慣れ、不慣れという意味を除いて)「全く変わらない」と言い切れるように思います。
投稿者:塾頭
精神、内面、外見、どうでしょうか。わたしの歳になると、しきたりや世間など、その国にいて見えないこと、感じられないこと、逆に見えること、感じられることなどの相違は実はわかっているようで、そうわかるわけでもないような気もします。
投稿者:smail
米国留学中のsmailです。先日日本人の友達が、“米国は人の目を気にしなくていいから、精神的に自由だ”服装とかの外見よりもこちら米国では、内面的な人柄、個人の価値観を尊重しているようです。その友人は、日本のような、しきたりや世間体からの開放を感じていると言っていました。

http://genkisakura.wordpress.com
投稿者:塾頭
MMさんもなにかエッセイあればいつでも投稿ください。
投稿者:mm
>Morimuraさん

お元気そうで、なにより。
いつもありがとう☆

次回、楽しみに待ってます!

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