学外疑塾1周年にむけての塾頭メッセージ(その2)
生涯教育と敬虔な経験主義との関係
塾頭がいまの勤務校につとめ、学内会議での帰り道、学部の異なる教授と電車でご一緒したことがあった。彼は、自分の大学(したがって同じ勤務校)の学生のレベルの低さを小馬鹿にしたような議論を永遠とやっていた。それなら、辞めてレベルの高い学校に移ればいいだけの話であるのに。わたし自身はこの言説にうんざりした。彼はその後も繰り返している。
本当にそうなのか。塾頭は敬虔な経験主義者である。勤務校以外の学校で教えてみることにしてみた。名古屋大学(大学院のみ)、京都大学、大阪市立大学、名古屋市立大学、九州大学、関西学院大学、名城大学、ドイツの2つの大学、オーストラリアの大学、北京の大学、フィンランドの2〜3の大学等々。ついでに、来日している外国の研究者や大学教授たちにも日本経済論や経済政策史を教えてみた。おかげで、大学教師暦13年であるが、パイロットの飛行時間式に換算してみると、いまで普通の大学教授のほぼ35年分の飛行時間(教鞭時間)となってしまった。質はいざ知らず。
ここで学んだことは、教育とは、とりわけ、高等教育とは内容とプログラムで相当に工夫しなければならないこと。ここには白黒つけて、はい優秀、はい劣等(=小馬鹿)というような単純な区切りができないこと。教えるとは教えられることという相互性が必要なこと。そして何よりも相互に信頼性がなければならないこと。

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