「What is the reason of working revisited?」
ブログ座談会
【新企画・ブログ座談会】
What is the reason of working revisited?
九州男児87さんのエッセイに触発されて、ちょっと書いてみようと思ったのですが、どうも論点がずれてしまい書きづらいのです。原文の文脈に合わせて文章を構成する能力もないので、私の観点で書いてみることにしました。始めは私が思うベースの部分を述べさせてもらったあと、個人的なことをさっと書いてみます。
まず、第一に私は「私」を「制度」とか「パターン」に合わせなければいけないのかという単純な疑問がありました。就職活動にしても、だいたいの大学生がやっていることに対して、なんとなく違和感がありました。こういう感覚はずっと、持っていたのだけれどどうも概念としてはっきりしなかったのですが、制度を外れてみて少しずつ、それが概念として分かってきました。
ヨーロッパの人と腹を割って日本の話をすると、東京の満員電車をテレビで見たよ、精神的な病気の人が多い、日本人は働きすぎているよねえ、というステレオタイプを誰もが持っています。きっと、テレビなんかでよく放映されているのだろうと思います。悲しいかな、外から見た日本社会の現実の一部です。
でも日本の中に入ってみると、書店には「成功哲学」が溢れていて、一体その成功とは何だろうという単純な疑問がわいてきます。成功を追うために、というよりもいやな仕事をしていることを紛らわすために、気持ちを無理やりに鼓舞しているような気さえします。仕事で疲れ果てて、休日はその疲れを取るためだけにあるというのは、世界一般の人には理解できないのではないでしょうか。
そもそも、嫌なものは嫌という自己主張が普通にされる国では、いわゆるモチベーションアップとか癒しという概念がもう少し能動的です。
ネガティブなことを書きましたが、日本車、電化製品のヨーロッパの普及率はすごいです。そういう面で強い信頼がある。世界に対してこういうアプローチの仕方があるのかと誇らしく思いました。また日本の企業文化の意識の高さは、圧倒的でこの経営の仕方は真似しようと思ってできるものではないなあと感じます。世界にとって、アドバンテージを取るものは何か。株価とか、GNPではなくて「自信」ではなかと、ふと思ったことがあります。やはりこれを世界へ向けて語る術を持つことが大切だろうとも思います。ただ、仕事、企業だけでは、耳を傾けてもらえない時代なのではないかという気もします。
仕事がかなり高い基準でできるということと、個人の生活の質が低いということ。天秤にかけることはできませんが、やっぱり生活の中で「個人の自由・時間」が完全に確保、価値とされているということは非常に生きやすく、気持ちが軽く自然です。そもそも、肌の色が違う人、階級の差、教育レベルの差、隣の国の人、移民いろんな人がいますので、言い方を返れば開き直りというか、違うということは明確なのです。今の私の住んでいるところは北アイルランドなのですが、以前のロンドンともまた状況は違うのですがこれはまたの機会にします。
私が言いたいのは、あくまでも仕事に対しての概念、動機、位置、というのは個人それぞれのものであって、同じ枠組みで語ることはできないということです。海外から見れば、日本のパターンとは超少数派になるわけです。それを、九州男児87さんはまさに言っているわけなのですが、私の感じているものと少し違う気がしたので書いてみました。これをもう少し明確に出来る方があれば、バトンタッチします。
私個人的なことでは私が働く理由を、本心から正直に言うと「体が動くから」です。働くことが私は普通に楽しい。今は知的障害者が生活するコミュニティーで働いていますが、あまり何をしているとかは関係がないようにも思います。
私は、近い将来会社を作りたいと思っていますが、それも福祉を大いに絡めたいと思っています。目の前の仕事よりも、今後の自分自身の事業へ向けて重点を置いている感じがします。どうやって、実際やっていったらいいのかということを考えています。なぜ、それをやるかと聞かれると、私はきっとそうやって動くのが好きなのだということと、これから必要だろうなあという思いがあるからです。もっと根底には私には障害のある姉がいることがきっかけかもしれません。また、やりがいは「いろんな人に会えること」に尽きるのではないかと思います

0