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一村一品運動とタイ
一村一品運動をご存知でしょうか。その地域に暮らす人々が、地元の資源や特性を活かして地域の“顔”や”誇り“になるような産品、全国的に売れるような産品を開発して地域を活性化することで若者達の定住を促そうという運動です。当時都市への人口流出によって県内各地域の過疎化が深刻化し地域の活力が失われていくのを危惧した大分県の平松知事が提唱し、1979年に始まりました。一村一品運動の原則は、「ローカルにしてグローバル」、「自主自立・創意工夫」、「人づくり」の3つです。「ローカルにしてグローバル」とは、地域の資源や文化、伝統を生かしながら、世界に通用する産品をつくることです。
「自主自立・創意工夫」は各市町村の国や県への財政依存傾向を払拭し、住民に自主自立の精神とやる気をおこさせることを意味します。住民は何を一村一品にするかを決め、創意工夫を重ね、磨きをかけてその産品を育てていかなければなりません。
「人づくり」とは地域のリーダーを育てるということです。先見性のある地域リーダーがいなければ、一村一品運動は成功しないという考え方に基づき、何事にもチャレンジする創造力に富んだ人材を育てることが重要視されました。
一村一品運動が始まって四半世紀以上経ちましたが、大分県の一村一品は種類・質ともに向上し、乾椎茸、カボス、ハウスミカン、豊後牛、麦焼酎などの特産品は全国に知れ渡るようになりました。又、特産品以外にも、湯布院町では、「もっとも住み良い町こそ優れた観光地である」との考えに基づいた独自のまちづくり条例をつくり、現在では全国から年間380万人の観光客が訪れ町となりました。一村一品の狙いは、このように高付加価値の産品やサービスをつくり出し、地域の振興を図っていくことなのです。
こうした日本の一村一品運動をモデルとして、タイでは2001年、タイ版一村一品運動”One Tambon One Product (OTOP)” Development Policyが国の政策として導入されました。Tambonはタイ語で村を意味しますが、行政単位としては日本の村というよりは複数の村を合わせた規模の行政区です。タクシン首相は就任後2001年、アジアの通貨危機の教訓をふまえて、これまでの外貨依存の経済から内需拡大へと経済政策の転換を図りました。
タクシン政権が打ち出したのは“Dual-Track Development Starategy (二路線発展戦略)”という呼ばれるもので、内需拡大と、輸出振興・外資誘致の双方を目指すものです。この戦略については我が国の通商白書も、その特徴を1.輸出戦略においていわば「ニッチ外需」の開拓を志向していること、2.農民層の経済基盤を強化し、地域の特性を活かした地域活性化策を実施することで内情の持続的な拡大を実現し過度に外需に依存した経済構造を脱却することの二つを挙げ、「新たな価値創造経済」を目指す戦略として取り上げています(詳細については通商白書(2004)第3章第5節を参照)。
戦略の具体的な政策として、OTOP開発政策は7000を越えるTambonにおいて、それぞれの地域の特産品開発を促進することで、地方、特に農村部での所得の向上と雇用創出を目的で取り入れられました。こうしたタクシンの地方、特に農村部の活性化を重視した戦略への取り組みは、貧困対策として一定の評価を得ている反面、農村基金や農村融資返済猶予策とならんで、地方農村部での選挙の支持基盤を固めるためのばらまき行政との批判もあります。
運動 VS 政策
日本の一村一品運動を真似て始めたOTOP開発政策はどのようにタイで展開されているのでしょうか。まずタイでは運動ではなく、OTOP 開発政策という名の通り政策で、タクシン首相のイニシアティブ下、Top-down的に導入されました。政策を実行する体制としては、副首相を議長とするOTOP全国委員会とその下に5つの付属委員会を立ち上げ、その調整機関としてOTOP事務局を、国、地方、県レベルに設置しました。
実際の支援事業については内務省、農業省、工業省、教育省などが個々に行っています。当初のOTOPの課題としては、地方の農村レベルで生産された製品が市場で受け入れられるかどうかであり、市場で受け入れられる産品をつくるため、金融支援、品質やデザイン改善、マーケティング支援、展示会による販売促進など様々な支援策が実施されました。しかしながらこうした複数の省庁との調整や、中央―地方間の調整はうまく進んでおらず、OTOP政策を実施する上の大きな障害になっています。又、予算についても特定財源以外に各省庁が自らの予算の一部を割いて支援事業に当てています。
こうした手厚い支援に依存していくなかで、本来の一村一品運動が提唱していた地域住民や市町村の自主自立の精神は薄れていっています。そもそも一村一品運動は大分県の平松知事が提唱したものですが、実際は、当時の大山町や湯布院で地域住民による地域振興の取り組みが行われており、平松知事がそうした先進的な事例に着目し、「一村一品」という象徴的な名前をつけて動きを全県に広げていったものです。ですので、行政としてはあくまでも運動は地域住民を主体とし、県の役割は地域住民や市町村を側面から支援するとことし、支援の中心を1.「人づくり塾」の開講などの人づくり、2.加工技術の指導、3.流通(販路開拓)に対する支援の3つに絞る一方、特定財源をもつ支援策を設定せず、国の補助金制度を巧みに利用しつつも、地域住民や市町村の自主自立を促しました。
人づくり VS ものづくり
タイのOTOP開発政策の特徴の一つにOTOP認定制度とOTOP Championship(コンテスト)があります。タイ政府は全国のTambonに対して、地域の特産品の発掘を働きかけるとともに、各Tambonから申請された産品を審査しOTOP製品としての認定を行います。タイ政府がこの認定制度によりOTOP製品の品質を保証することで、国内外での販売促進には有利に働いています。
さらには、OTOP認定品の中で、その品質やデザインを全国レベルで競わせるため、OTOP Championshipというコンテストも開催されています。OTOP Championshipへ出品すると、その品質やデザインによって、製品に対して五段階の星が与えられます。四つ星や五つ星を獲得すれば、売り上げも増加し、海外への輸出への道を開けてくるかもしれないことから、出品者側もより高い星の獲得を目指します。
似たような製品を生産する地域間の競争を促すことで品質やデザインのさらなる向上を図ろうとするこのコンテストの意図は悪くないのですが、ただ、その選考過程においては地域の文化や特色といった”Only One”的な要素よりも、品質やデザインにおいて”Number One”的な要素が重視されています。大分県の一村一品運動は、地域住民が自分達の誇れるような産品を開発することで自らも成長し、地域住民が成長することで地域も活性化されるという考え方に基づいた運動です。
しかしながら、タイのOTOP政策においては大分県の一村一品運動が目標としていた人づくり、すなわち製品を開発していく中で地域のリーダーを育てようというよりは、同じ人づくりでも、中小企業や輸出業者を育成していきたいという意図がみてとれます。
地域ブランド VS OTOPブランド
大分県の一村一品運動では、地域の“顔”や”誇り“になるような産品をつくってきたわけですが、佐賀関町の関あじ・関さばのようにその地域名がつけられた特産品やまた、観光地としては湯布院が地域ブランドとして地位を確立し、また乾椎茸、かぼす、麦焼酎といった特産品を通じて大分県自身の知名度もあがりました。一方OTOP開発政策ではOTOP自体のブランドが確立に力が注がれています。国からOTOP製品と認定されると、その製品にはロゴマークの使用が認められます。そこにはあまり地域の顔は見えてきません。
むしろそこにはOTOP製品の輸出を促進するためには、タイの文化や伝統という付加価値をOTOPというブランドに込めることで、価格面では比較優位性をもつ中国製品に対抗しようというタイの輸出戦略が反映されているように思われます。OTOPというアルファベットを用いたOTOP製品のロゴマークも、国内市場のみならず、国際市場を視野に入れた戦略を考えればうなずけることかもしれません。このように日本一村一品運動を真似て始められたタイのOTOP 開発政策ですが、タイの実情にあった形で解釈され、実践されていますが、政策に対する評価、特に地方、とくに農村部の活性化においては効果があったかどうかについては現時点では意見が分かれるところです。
現在一村一品運動はタイだけでなく、中国、マレイシア、フィリピン、インドネシア、マラウイ、ラオス、モンゴルなどの途上国にも広がっています。ただこれはタイだけでなく他の途上国にも見られるのですが、「一村一品運動」というユニークな名前が一人歩きしてしまい、その精神である自主自立や人づくりの重要性はあまり伝わっておらず、とにかく何か売れるような産品を一品作ればいいというような誤解や政策として過度の期待を招くことが多々あります。
もちろん、一村で二品でも三品でも特産品を開発していけばいいのですが、特産品開発による地域活性化にも限界があります。また一村一品運動を政策として導入する際の矛盾として、政府の支援が行き過ぎると、住民の主体性を損なう危険性があるということもまた十分に認識しておかなければならないでしょう。夕張メロンで有名な夕張市の財政再建準用団体への申請はまさに、一村一品運動のもつ限界やリスクを考える上では、象徴的な出来事かもしれません。ただ、そうした議論がある一方で、それでもこの一村一品運動が日本の多くの過疎地域に刺激を与えたことについては一定に評価がなされているのは、この運動の本質が、ものづくりを通じての「人づくり」、「人づくり」を通じた地域づくりを目指して運動であり、運動の究極の目的はこの「人づくり」あったからではないでしょうか。
現在大分県には約30国・地域から年間800人以上の人が一村一品運動を学ぶために訪れています。また平松元知事は現在も元気に一村一品運動を広めるべく途上国を行脚しておられるようですし、経済産業省も今年の2月から途上国「一村一品」キャンペーンをスタートさせていますが、一村一品運動の真に意味するものが間違って伝わらないことを祈るばかりです。

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