大人のピアノ教室 表千家茶道教室 大阪府枚方市  原田智子

2007/9/6

掬水在月手  禅語

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『掬水月在手 弄花香満衣』

水を掬(きく)すれば 月 手に在り 
花を弄(ろう)ずれば 香 衣に満つ

この句は、唐の詩人が詠った「春山夜月」という詩に基づいていて、「水を手にすくえば、その水に月が映り、花を手折れば、その芳しい香りが、衣に染み込む」という、清らかで美しい情景を表しています。

しかし、この句は、その奥には、さまざまな解釈があるとされています。


@人間は、その交わる環境や扱う物により、いつしか影響を受けるものであるから、つとめて、清浄なものに近づき、不浄なものから遠ざかるべきである。

A水をすくえば、天空に輝く月が、期せずして我が手中に在り、花を手折れば、その芳香が、いつしか我が衣に染み込むように、何事もひたすら精進努力していれば、自然に悟りの妙を会得する。

B水をすくえば、そこに真理の光がうかび、花を手折れば、宇宙の生命の香りが満ち溢れているように、真理、すなわち仏の光は、いたるところに現れている。

C水をすくえば、すくっている自分と水が一体となり、自分が水そのものになって、月光を映し、花を手折れば、花と自分が一つになって、全身に芳香を放つ。
主客不二・物我一如の境涯。

(参考:『新版一行物 禅語の茶掛』淡交社)

@からCに進むにつれ、その解釈の内容が深遠になっているような気がします。

私は、いずれの解釈にしても、そのポイントは「水を掬すれば・・・花を弄ずれば・・・」のところにあるのではないかと思っています。

つまり、自分自身が、「水をすくい、花を手折る」という”行動を起こす”ことにより、@よい影響を受け、Aいつしか、悟りの境地にたどりつき、B一切に現れている仏の真理に気づき、C自己と宇宙が一体であることを知ることができるというのです。

何かを望んでいても、ただそこでぼんやりと待っているだけでは、何も変わらないし、それどろこか 実は既に自分の周りにいくら素晴らしいものがあったとしても、それに気づくことさえできないのではないでしょうか。

かといって、一足飛びに『月』を手に入れようとあせることなく、小さなことでよろしいから、今の自分のできることを、まず、やってみる。

そんな”小さな行動”のもつ大きな意味を教え
また 勇気づけてくれているようにも
私は感ずるのですが いかがでしょうか。
6



2007/9/6  15:54

投稿者:tomoko

解説というより、いずれも本の受け売りで、申しわけありません。

おっしゃっているのは、猿猴捉月図 のことですね。

池に写っている月を本当の月と勘違いして、一生懸命取ろうとしている猿の姿。

これは、そんな無駄な努力をしている猿を風刺しているんだけれど、自分がいったい何を求めているのか、ということを、よく考えるということが大切なのかもしれませんね。

理想を高く持つということは、決して、高望みということではないと思いますから、分不相応なんておっしゃらず、どうぞ、高みに向かって精進なさってくださいませ。

またまた、えらそうなことを申し上げて、失礼いたしました。


2007/9/6  14:56

投稿者:kawashita ,sachiko

詳しく解説してくださってありがとうございます。掛け軸やお茶碗にもお猿さんが手を長ーく延ばして池に映った月を取ろうとしている絵も同じ事なのですね。私も自分の身丈に合った行動をこつこつやっていこうと思います。でも時々高望みしてみたり、分不相応な事を考えたりしてしまいます。


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